親心こそ人を育てる(50号より)

 「自由」「のびのび」「個性を大切に」…。これらは現代の教育現場において、金科玉条のごとく語られてきたことがらですが、最近になって中央教育審議会から、「やはり学力を重視しなければならない」という議論が出てくるようになっきたのは、これらが実際には中味のない、空論でしかなかったからではないでしょうか。

 「自由」も「のびのび」も、そして「個性を大切に」ということも、秩序と規律、そしてさまざまな困難を乗り越える地道な努力の上にしか成り立たない、ということを教えなければ、かえって子どもにとっては害にしかならないのではないかと思います。

 数多くのひきこもり、不登校の子どもたちの問題を、独自の方法で解決してきた経験を持つ長田百合子さんと、多くの問題を抱えるアメリカの後追いをして、家庭や社会を崩壊させつつある日本に警告を発し、子育てにおける日本の伝統と習慣の大切さを訴え続けている松居和さんが、雑誌の対談の中で、子育てにおける親の姿勢の重要性ということについて、次のように発言しています。
 
松居 子供の問題が起こると、どこに問題があるのか、だれに責任があるのかということばかり考えてしまう。しかし、「だれが責任を感じる社会か」ということが大切ですよ。すると、それは親でなければいけない……。

長田 子供はいずれ親から離れて独り歩きをしなければいけない。その道に茨があったり、ぬかるみがあったりして、転んで怪我したりするかもしれない。だけど、前を向いて子供自身の力で歩いていかせる。これが親のやるべきことですよ。すると、意地悪な人も、叱ってくれる人も、子供を打たれ強い人間に育ててくれるありがたい人になるわけです……。

 結婚は自ら進んで不自由になることですが、子供を産むことは、結婚に輪をかけて不自由になることです。しかし多くの人がそうしているのは、ここに「しあわせ」があるからでしょう。不自由になることに「しあわせ」を感じなかったら、ともに支え合っていくという、人間の生活は成り立っていきません。

 一見、不自由な思いをしているように見えていても、そこに「しあわせ」を感じるという親心があればこそ、自分をしっかりと見つめ、周囲の人に感謝する心を忘れない子供が育っていくのではないでしょうか。


一々の花(49号より)

 親鸞聖人のご和讃の中に、

  一一のはなのなかよりは
  三十六百千億の
  光明てらしてほがらかに
  いたらぬところはさらになし
 
という一首があります。このご和讃は、後に続く二首と一連の和讃なのですが、もともと『大経』上巻の経文をよりどころとしているものです。

 このご和讃にあるように、一つ一つの花の中から三十六百千億の光明が放たれているとは、いったいどういうことなのでしょうか。

 まず三十六百千億とは、青・白・黒・黄・赤・紫の六つを掛け合わせて三十六、それに無量をあらわす百千億という数字を加えたものです。たとえば、青い花は、ただ自らの青い光だけでなく、白や黒や黄色など、そのほか無数の花の光を受けて、それらの光が一体となり、その一体となった光を自分の光として放っている、ということを表しています。

 私たちが普段、何気なく話している言葉や、考えていること、そして行ないは、父や母、兄弟・姉妹、それから友だち、先生、そのほか地域の人たち、あるいは書物を通して出会った人たちど、数え切れない人たちの影響を、知らず知らずに受けてきたものだとはいえないでしょうか。

 しかも、そんな私がほかの誰とも同じでない、私だけの命を生きている。そこに命の不思議さと尊さがある。そのことを私たち一人一人に知らせて、自らの道をしっかりと歩ませることが、仏さまの救いのはたらきなのだよと、『大経』は説いているのです。

 一輪の花にも、その花を咲かせようとする大いなる命の願いがかけられており、一輪の花がせいいっぱい咲くことが、大いなる命の願いに応えていくことになるのです。

 先日、東京生命、アリコ、アクサなどの生命保険会社の取締役社長を歴任し、現在、エキスパート・アライアンスという、会員のロードサービスと共済のための会社を経営している中川博迪という方が、インタビュー記事の中で「世のため、人のため、ちょっとだけ自分のため。この考えが日本を変える!」ということをおっしゃっているのを目にしました。日本の企業にもこんな人がいたのかと、少し安心をしたことがありますが、逆にいうと、このような声をあげないといけないくらい、今日の私たちは自己の利益を優先しすぎている、ということでもあります。

 私の命は他の多くの命に支えられ、また私の命が他の多くの命に関わっていることを、思い返してみたいものです。


かけがえのない存在(48号より)

 元ザ・ドリフターズのメンバーの一人、高木ブーさんが『第五の男』という本を出版したということが、テレビで紹介されていました。映画『第三の男』をもじったタイトルだろうかと思っていたら、ご本人いわく、「私たちはいつも並ぶ順番が決まっていて、リーダーのいかりやさんが必ず一番左で、たいしたギャグも取り柄もない私は一番右。いつしか他のメンバーから『第五の男』と呼ばれていました(笑)」と。

  「取り柄がない」とは本人の謙遜で、実は彼はウクレレの名手で、「高木ブーのウクレレ教室」というビデオ教本まで出たくらいの腕前なのです。でも、ザ・ドリフターズのメンバーの中では、いつも控えめで、うだつが上がらない役回りばかりしていました。そんな彼が『第五の男』という本を出したのは、メンバーの中ではいつも第五番目の男である私がいるからこそ、他のメンバーは安心して自分のギャグを飛ばしたり、派手な役回りをこなしたりできたんだし、自分にもちゃんと存在価値があるということや、自分なりの生き方があるということを知ってもらいたかったから、ということを話しておられました。

 私たちは、ついつい一人一人を切り離して順番をつけ、どっちが上か下かと考えてしまいがちですが、他の順番になってくれる人がいなかったら、自分の順番は存在しないのです。どのポジションにあろうとも、それぞれにかけがえのない存在価値がある、と教えてくれるのが仏教の縁起(すべての存在が深い結びつきを持ち、互いに支え合っている)という考え方です。

 けれども、私たちはそのことをついつい忘れて、人を踏み台にしてのし上がろうとしたり、人の不幸の上に、自分の「しあわせ」をつかもうとして悪戦苦闘し、そのあげくに、生きることに疲れ果ててしまっているというのが、今の時代の多くの人たちの姿ではないでしょうか。

 中島みゆきさんの『地上の星』が連続ランキングの新記録を達成したという報道がされていました。「この世に存在する意味のない人なんてない。だから、自分をダメな人間だと思っている人のために、応援歌を歌い続けていきたい」とつねづね彼女は語っていますが、そういう彼女の思いのこもった歌が、多くの人の心を癒しているのではないかと思います。


常に我が身を照らす(47号より)

昨年、ヒットした歌のひとつに、夏川りみさんの「涙そうそう」がありました。もともとは、BIGIN(ビギン)というグループの歌なのですが、どうしても歌いたいという夏川りみさんの願いに、ともに石垣島出身という同郷のよしみもあり、「歌えばいいさぁ」と応えてくれて、それ以来、大切に歌ってきたことが、ようやく実を結んだのです。BIGINの歌もよいけれど、夏川りみさんの張りのある美しい声で聞く「涙そうそう」は、いっそう心にしみてきます。

 「涙そうそう」とは、とめどなく涙があふれてくるほどの思いをあらわす、沖縄の方言なのですが、詞は歌手の森山良子さんが書かれています。たまたま目にした新聞のコラムで、大切なお兄さんを亡くした頃の思いを、歌にしたものであることを知り、一層この歌への味わいを深くしました。

  古いアルバムめくり 
  ありがとうってつぶやいた
  いつもいつも胸の中
  励ましてくれる人よ

 アルバムの写真に写っている、今は亡きお兄さんに向かって「ありがとう」とつぶやく森山さんの胸の中には、いつも励ましてくれるお兄さんが、ちゃんと生きていてくれるのでしょう。

  あなたの場所から私が見えたら
  きっといつか会えると信じ生きてゆく

という歌詞には、いつも自分のことを見守っていてくれる兄の眼差しと、その眼差しに支えられ、いつか必ず会える日が来ると信じながら生きてゆく、という力強さをうかがうことができます。

 愛しい人と死別することは、とても辛いことではありますが、いつも見守られている自分がここにいる、とに気づかせていただくとき、悲しみの涙が、喜びと感謝の涙に変わることを、この歌は教えてくれます。

『高僧和讃』の「源信讃」に、

  煩悩にまなこさへられて
  摂取の光明みざれども
  大悲ものうきことなくて
  つねにわが身をてらすなり

とあるように、大悲の親様が、いつも私たちのことを照らしてくださっていることを知るとき、私たちは阿弥陀如来さまに出遇うことができるのです。


この街の空にも(46号より)

 「この街の空にも、星は瞬く、今はただ、姿を隠してるだけ…」独特な歌い回しと、印象的な歌詞で始まるこの歌は、現在放送中のNHKの朝の連続ドラマ「まんてん」の主題歌「この街」で、歌っているのは奄美大島出身の元ちとせさんです。

 「この街」のCDが発売された頃、あるラジオの番組の中で、元ちとせさんが、この歌に寄せる思いを語っておられました。

 いったんはあきらめかけたプロ歌手の道を目指して、東京に出てきた頃、まわりには誰も知っている人がなく、寂しい思いをしていました。ある夜、ふと空を眺めたら、ふるさと奄美と違って、空には、数えるほどの星しか見えませんでした。でも彼女は、「夜空に輝く星々は、都会の明るさのために、その姿を隠しているだけ。この街にも奄美で見たような星は輝いているはず」と、ふるさとで眺めた満天の星を思い出し、今の心境と重ねながら、自分を元気づけたというのです。

 この歌は「声が聞きたい、こんな夜だから…」と続きます。私たちも、寂しい思いをしている時こそ、心を静かにして、「いつもあなたのことを見守っているよ」と、私たちを喚(よ)んでくださっている仏さまの声に、耳を傾けてみてはどうでしょうか。「南無阿弥陀仏」とは仏さまの喚び声なのです。

 
よりよく生きる(45号より)
 最近、話題になっている本の中に、聖路加国際病院理事長・同名誉院長で、九十歳を過ぎて現役の医者として活躍中の日野原重明さんのエッセイをまとめられた『生き方上手』という本があります。その本に、こんなことが書かれていましたので、少し抜粋して紹介します。

 吸うよりも吐くことを意識する
 よい呼吸法は、よい生き方と同じ

 お釈迦さまが弟子たちに伝授された「二段呼吸」という呼吸法も、息を吐いて、とめて、さらに吐くものだったといいます。十分にはくことが、健康によい呼吸なのです。からだによい呼吸法は、そのままよい生き方に置き換えられるように思います。自分がもらうことばかりを優先して、他人に対して出し惜しみをしていると、こころは満たされるどころかしなびてきます。(中略)ハァーと大きなため息をついて空気を吐き出すと、からだにいい。同じように、心の健康のためには、自分の能力を他人のために存分に使うことが一番なのです。

 日野原先生は、「呼吸をする」という、人が生きるための最も根本的なことにたとえて、「よりよく生きる」とは「他人のために生きる」ということだと書いておられますが、「すべての人がしあわせにならなければ、私自身も本当にしあわせになることはできない」ということを、最初に説いてくださったのは、ほかならぬお釈迦さまでした。

 お釈迦さまのさとりとは、あらゆるものは、みな支え合って存在している。独立しているものなど、一つもないということでした。このことを仏教用語では「縁起」といいます。ですから、よりよく生きることは、縁起を知ることから始まるのです。その縁起を知らせてくれるのが、「めぐりあい」なのです。

 ところで、「しあわせ」という字を『広辞苑』で引いてみると「仕合せ」とあり、その意味は「めぐりあわせ」と書かれています。これは「仕えるべき人に出合った」という意味を含んでいます。その「めぐりあい」の中で、自分にできる精一杯のことをさせていただけることの喜び、それが「しあわせ」であることを、「仕合わせ」という字は教えてくれます。ちなみに、意外にも「幸(さち)」という字は、後に用いられるようになった字なのですが、かえって「しあわせ」の本当の意味を見失わせているのかもしれません。

無条件幸福(43号より)
 人は誰しも「幸せになりたい」と願うものです。そこで、その「幸せ」とはいったい何かと問われたら、多くの人は、裕福になること、名誉を得ること、健康であること、家庭が円満であること、というようなことを挙げるのではないでしょうか。

 しかし、有名なカール・ブッセの「山のあなた」という詩を挙げるまでもなく、こうしたことは、私たちが漠然と考えている「幸福の条件」であって、必ずしもそれが「幸福そのもの」であるとはいえないのではないでしょうか。

 作家の藤本義一氏がエッセーなどで「無条件幸福」という言葉を使っています。おそらくこの言葉は「無条件降伏」という言葉をもじったものだと思われますが、とても意義深い、いい言葉ではないかと思います。というのは、自分の置かれている状況を、自分の都合にとらわれることなく、一度「そのまま」、つまり「無条件」に受け容れることによって、はじめて「生かされている喜び」が見えてくるのではないかと思うからです。

 「ハンディネットワーク・インターナショナル」という株式会社を設立し、大手企業数社と提携し、介護・福祉ビジネスのリーダー的存在として注目されている春山満という方がおられます。彼がこのような仕事を始めることになったきっかけは、二十四歳のときに、進行性筋ジストロフィーという助かる見込みのない難病にかかってしまったことだったのです。

 彼は病気の宣告を受けたときのことについて、インタビューで「泣いて宿命を恨んで、そして自分への言い訳を山ほどつくって、そして自分を正当化して。僕がそういうことを選んでいたら、人生は終わっていたと思いますね」と答えています。

 そして春山さんはこうも言われます。「けっして自分だけが、こんなふうに強いのではない。宿命を受け入れさえすれば、人は誰でも強くなれるのだ」と。

 逆境の中だからこそ知らされる、私にしか生きることのできない、私だけの人生。私たちも、自分の足下をもう一度見つめ直して、一歩ずつ自分自身の人生を歩みたいものですね。
 
心の大地を耕す(42号より)
 「下農は雑草をつくり、中農は作物を作り、上農は土をつくる」という言葉があります。よい農家の方は、いい土をつくることによって、作物がひとりでにいい作物に育たずにおれなくするということだそうです。

 ところで、もともと漢語の「人間」は「ジンカン」と読み、「人の住む世界」を意味していました。「人間」がいわゆる「人」を意味するようになったのは、人と人とのつながりの中で、はじめて人は「人」となれるからではないでしょうか。

 イヌやネコは、人間が育ててもイヌやネコですが、人間だけは人間に育てられないと、人間になれないのです。姿や形は「人」らしく見えていても、言葉使いや行動を見ていたら、とても「人」とは思えないという人もあるのではないでしょうか。(自分のことも棚上げはできませんが)

 その、言葉使いや行動はどこで身につけていくかといえば、それは、家庭であり、学校であり、また地域社会であるわけです。最近では、テレビの影響も大きいと言わねばなりません。とすれば、家庭や学校や地域社会の中で、どんな会話が交わされ、行動がなされているかが、どんな人が育つかに大きく影響しますし、逆に、どんな人が育っているかを見れば、その社会がどういう状況であるのかが知られます。

 たとえば、毎日の生活の中に、人を敬い、尊ぶ会話やすがたが少なくなれば、人を敬い、尊ぶ心も育ちにくいでしょうし、そればかりでなく、人を尊び、敬う生き方をすることさえ難しくなっていくのではないかと思います。世の中の価値観が大きく変わっていく激動の時代だからこそ、なお一層、私たちは「心が育つ大地」を荒らさないように心がけなければならないと思います。

妙好人「お軽さん」の詩に、

鮎は瀬に住む   小鳥は森に
  わたしゃ六字の  うちにすむ

というのがあります。先輩たちが耕してくれた「南無阿弥陀仏」の六字、「あなたの命をいつも大切に見守っていますよ」という温かい言葉が交わされ、温かい心が育まれていく大地を、私たちも耕し続けたいですね。
いつも何度でも(41号より)
 宮崎駿のアニメ映画「千と千尋の神隠し」が空前の大ヒットとなりました。ご覧になった方も多いと思います。そして映画同様にヒットして、たくさんの人に親しまれているのが、この映画の主題歌として用いられている木村弓さんの「いつも何度でも」という歌です。映画をご覧になっていない方も、テレビやラジオで耳にされたことはあるかと思います。

 木村弓さんは宮崎駿アニメの中年ファン(失礼!)で、ぜひ映画作りに参加したいと、熱い思いをもってこの歌を作られたそうです。うかつにも、歌詞の意味をあまり考えず、つい最近まで聴き流してしまっていました。たまたまコーラスで歌う機会があり、歌詞の意味をよく味わってみると、「いのち」に対する深い慈しみを持った歌であることがわかったのです。

 歌詞の後半に、「悲しみの数を言い尽くすより、同じ脣でそっと歌おう」、そして最後は「始まりの朝の静かな窓、ゼロになる身体、満たされてゆけ。海の彼方にはもう探さない。輝くものは、いつもここに、私の中に見つけられたから」と締めくくられています。

 「いつも何度でも」ゼロになる身体に満たされてくるもの、まさにそれが、私の「いのち」を支える阿弥陀さまのお慈悲の言葉「南無阿弥陀仏」であったことを、今しみじみと味わっています。

それぞれの生き方で(40号より)
 最近、注目されている書物の中に、諏訪中央病院の院長をされている、鎌田實さんの書かれた『がんばらない』という本があります。

 莫大な累積赤字を抱えてつぶれかけていた病院に、東京から赴任して来た彼は、「けっして薬漬けにしない医療を」という強い意志を持つ先輩医師と共に、ねばり強いPR活動によって地域の方々の協力を得て、つねに医療の新しいあり方を打ち出し、現在では、地域医療のモデル病院の一つとして、利用者、視察者の絶えない病院に育てあげました。

 彼はこの本の「ありのままに生きるということ」という章の中で、

  …医学は生物学とは違い、人間科学である。人間の疾病を部品の故障というデカルト的なとらえ方をせず、対象の個別性やその人が生きてきた歴史に配慮し、それぞれの「生きている意味」を尊重して、治療していくべきではないだろうか。障害者の「魂を癒す芸術」を見ていると、医学が忘れてきた全体への大切さを思い出させてくれる。…知的ハンディをもった西沢美枝さんたちの「がんばらない」「生きている」「ありがとう」「ぼくのたましい」という作品は、力みのない悠々とした筆づかいとともにすごい迫力をもってぼくらの医療のあり方に問題提起をする。多くの患者さんたちからも「不思議な勇気をあたえられる」と声をかけていただいた。「あなたは、あなたのままでいい」「競争しなくてもいいですよ」と語りかけているようだ。

と書いています。このような考え方を持ち、それを実際の医療に活かしているお医者さんや、病院があることを知って、驚きもし、また嬉しく思いました。

 どんなに若くて健康であっても、やがては老い、病に倒れ、終えていかなければならない命ならば、自分らしく生き、自分らしく死んでいきたいと、誰もが願うことではないでしょうか。

 今、上映中の映画『大河の一滴』の中で、田舎の郵便局長を勤めてきたヒロインの父は、肝臓ガンであることを知りながら入院を拒否し、自分らしい最期を迎えようとします。最初は反対していた家族も、本人の思いを受け容れ、医者の協力を得て、自宅で最期を看取っていくのでした。

 自分らしい生き方ができるかどうかは、老・病・死という人間の根本苦に、自分自身がどう向き合っていくかによるということを、これらの書物や映画は教えてくれているように思いました。
親によばれて(39号より)
 私たちが生きていく上で、「よばれる」ということは、とても大切なことのようです。私たちは「よばれる」ことによって、無意識のうちに、「生きていることの意味」を確認しているのだ、というこを知らされたことがあります。
 いま、NHKの朝の連続ドラマ「ちゅらさん」が放送されていますので、ご覧になっている方も多いかと思います。その中で、こんな場面がありました。

  ヒロインの恵里は自分らしい生き方を求めて、親の反対を押し切り、沖縄から一人東京に出てきていました。ある日、突然倒れた同じアパートの住人・島田さんを病院に運び、そこで目にした看護婦さんの献身的な仕事ぶりに、「自分のやりたいことはこれだ」と直感します。そして恵里は、「なにか、呼ばれているような気がする」というのでした。

 看護婦目指しての奮闘が始まる中、かつて医者であった島田さんが、恵里の受験勉強を見ているとき、「あなたには看護婦が向いている。きっと看護婦はあなたの天職なんだろう。あなたは、『呼ばれている』と言ったけれど、英語では天職のことを『Calling(コーリング)』というんだよ」と語るのでした。

 「コーリング」に「天職」という意味があることは知りませんでしたから、さっそく英語の辞書を引いてみると、たしかに「①職業、天職、②(神の) お召し、 使命、③呼ぶこと、叫び」とありました。「コール」とは「呼ぶ」という意味ですから、第三の「呼ぶこと」が本来の意味であり、それが第二の「神のお召し」、それから「天職」という意味となって、この「天職」が第一の意味になっていったということなのでしょう。

 どんな職業にも、けっしてたやすいものはありません。仕事の内容だけでなく、仕事上の人間関係の困難さもあります。そんな中で、「どうして、こんな仕事をやっているんだろう」と思ったり、「もう、やめてしまいたい」という気持ちを、誰しも一度は経験するのではないでしょうか。そのような思いが起こるのは、もともと「何のために生きているのか」という問いを持っているからでしょう。

 「天職」を「コーリング」というようになったということが、自らの職業を「神の思し召し」として受け止めることによって、さまざまな困難を乗り越えていった人たちの信仰のすがたを物語っています。

 親鸞聖人は当時、全く存在価値のない「いし、かわら、つぶて」のように思われていた自分たちを、阿弥陀さまは「かけがえのない、尊いもの」と見抜いてくださって、「浄土に招き、喚んでくださっている」とおっしゃいました。『ご本典』に「南無阿弥陀仏」とは「本願招喚の勅命」であるといわれているのは、そのことをあらわしています。

 「招く」とは、私たちの存在価値を認めてくださっているということであり、「喚ぶ」というのは、私たちを抱き取って、「安心せよ」と「よび続け」ておられることを表しています。この喚び声の響く中にこそ、私たちは本当の「生きる意味」と「目標」を知って、力強く生きていくことができるのです。

苦しみを受容する力
~バッハの信仰と音楽~(38号より)

「セバスティアン(バッハのこと)、よい知らせがあるぞ……」長年の無理がたたったのか、近年、次第に視力の衰えが進んでいたバッハを心配する友人が、イギリスからテーラー博士という有名な眼科医がやって来るという噂を聞いて、眼の手術を受けることを勧めに来ました。

 決して裕福ではなかったバッハは、手術代のこと、万一、手術が失敗に終わった場合、家族が路頭に迷うであろうことを心配して、友人の勧めを丁寧に断りました。それでも、何とかよい仕事を続けてほしいと願う友人たちの再三の説得に折れて、妻の反対を押し切って、手術を受けることにしました。 

 ところが、この眼科医。実はとんでもない藪医者だったのです。二回の手術によって、バッハを完全に失明させたあげく、薬を服用すれば次第に良くなると偽って、手術代、薬代をまきあげて帰っていくのでした。

 二度の手術によって完全に失明した上に、薬の副作用によって、次第に体をむしばまれ、弱っていくバッハの横で、妻のマグダレーナは手術を後悔しては泣き、夫の苦しみを思っては泣き続けていました。

 しかし、セバスティアンの方は、今やすべてをあきらめて、むしろ死期が迫ったことに安堵する気持ちになっていたのです。

 「悲しんではいけないよ、マグダレーナ。この苦しみも主のみもとに近づくためなのだからな。」セバスティアンはそう言って、反対に妻をなぐさめながら、泣くかわりに聖書を読んでくれるようにたのむのでした。そして、自分に言い聞かせるのでした。

 死に向かうことは、私にとって少しも恐ろしいことではない。むしろ、いつかはこの世を去り、神のみもとにいけるという希望があったからこそ、私は現実の生活の多くの苦しみにも堪えられたのだ…。この世との別離は、長いこと私のあこがれであったし、私の人生の完成の時でもある。目は失っても、私は心の目を開いて、最後の最後の時まで大切に生きよう…。

 図書館でふと手にしたバッハの本を読みながら、確かな信仰によって生きる人間の力強さに、思わず涙があふれるのを禁じ得ませんでした。

 クリスチャンであったバッハの音楽は、そのまま優れたお説教になるほどに、神の栄光を素晴らしく讃えたものでしたが、その音楽の崇高さは、確かな信仰に裏づけられたものであったことを、自らの苦しみ、そして死を受容していく生きざまの中に、はっきりと知らされました。
メメント・モリ
 ~死ぬことを忘れるな~(37号より)
 今年一月の報恩講のご法話の中で、渡辺正信先生がお話しくださった「メメント・モリ」という言葉が、話される時の身振りともに、強く心に残りました。

 キリスト教の僧院である修道院では、朝一番の挨拶が「メメント・モリ」(死ぬことを忘れるな)であるというのです。一日の始まりの挨拶に、「死ぬことを忘れるな」とは、何という不謹慎、あるいは不吉な、と思われるかもしれません。しかし、修道僧たちのこの挨拶は、「いつ死んでもおかしくない命」を、今日もまた生かしていただくのだ、と思いつつ生きていくことが、ただ一度きりの命を生きる私たちにとって、どれほど大切なことであるかを教えてくれているのではないでしょうか。

 もう二十年前になりますが、私が大学の卒業を間近にして、大阪の行信仏教学院に入学することを決めた頃に見た映画『飛鳥へ、まだ見ぬ子へ』の中で、強く印象に残ったシーンが、ありました。

 この映画は、岸和田の徳修会病院に勤務している若いお医者さんが、自身の癌と闘い、そしてついに死を覚悟して幼い子と、奥さんのお腹に宿った、まだ見ぬ子へあてた手紙をもとに出版された、同名の書物が、名高達郎と竹下景子の主演によって映画化されたものでした。

 医者であった主人公は、同僚の作成したカルテを目にし、自分の体の異変が、まぎれもなく癌によるものであることを知ってしまいます。その夜、「なぜ私が…」という無念の思いで、涙がとめどもなくあふれ、眠れない一夜を過ごします。
 それから悶々とした夜が続きましたが、ある朝、毎日通う病院まで風景を、もうこれからは見られなくなるのだという思いで、見つめ直してみました。すると、何気なしに見過ごしていた街路樹が、とつぜん、金色燦然と輝きだしたのです。「通りの木々は、こんなに輝いていたのに、私は少しもそのことに気がつかずにいたとは…」その時、悲しみに打ちひしがれていた主人公は、生きるために、両足切断という試練をも堪えていく決心をするのでした。

 自分の命も、他の命も、やがて必ず終わるべきものであることを本当に覚悟したとき、命に対する限りないいとおしさの思いが生まれ、光り輝く命の世界が見えてくることを、この映画は教えてくれました。

 報恩講のご法話を聞きながら、この映画の一シーンを思い出し、もう一度、仏教を学び始めた頃の初心に返って、「死ぬことを忘れるな」の言葉を味わってみようと思いました。