ニュートラルな心で(75号より)


 最近の車は、ほとんどがオートマチック車で、変速の必要もなくなり、ニュートラルはあるというものの、意識して運転している人は少ないかもしれません。昔ながらのマニュアル車(ミッション車)の場合、ギヤの切り替えには、ニュートラルの位置確認は、とても大切でした。かつて、自動車学校に通った時には、車の始動をする前に、必ずニュートラルの位置確認をすることを教えられたものです。

 マニュアル車では、一度、ニュートラルに戻さないと、ギヤを切り替えることができません。また、ニュートラルの位置に戻すことは、ギヤを何速に入れていたかを確認する意味もあります。ニュートラルはエンジンが空回りしている状態ですが、車を運転するためには、とても大切なものなのです。

 また、パソコンやワープロのキーボードには、左右の人差し指を置いておくホームポジションというのがあって、指で触れただけで、そのキーだとわかるようになっています。それは、画面を見ながら、キーボードを見なくてもキーを打てるようにするためなのです。ホームポジションは、そこに置いた左右の人差し指を起点に、キーを打つ指を自在に動かし、またキーを打った後は、指を元に戻すための、大切なポジションなのです。

 私が趣味としているクラシックギターの場合は、低音弦の4・5・6弦のいずれかに親指を置き、高音弦の1・2・3弦に、それぞれ薬指・中指・人差し指を置いて、弦を弾く時にだけ、その指を動かし、弾いたら、すみやかに元の位置に戻す、というのが基本動作です。それは、力を抜いて指の無駄な動きを省き、なめらかな演奏をするために、とても重要な動作なのです。この基本を身につけるには、適切なアドバイスをしてくれる指導者と、正しい姿勢を保つトレーニングが欠かせません。

 さて、私たちの生きていく上でも、時々、ニュートラルな状態に戻るということが、大切だと思います。「ニュートラル」とは「中立の」という意味の英語ですが、お釈迦さまの示された「中道」という生き方にも通ずるところがあります。私たちは、自分の経験や知識を活かしながら生きていますが、はじめて出合うような困難な問題にぶつかった時、自分の経験、ものの見方、価値観が、かえって邪魔をして、傷口を深く、大きなものにしてしまうこともあります。

 そんな時は、少し冷静になって、自分のすがたを「心の鏡」に映し、ニュートラルな心を取り戻して、そこから再スタートしてみるのが、案外、一番の問題解決の糸口かもしれません。

まなざしを変える喜び(74号より)


今年の仏教文化講座では、矢崎節夫先生をお招きし、「あなたはあなたでいいの~金子みすゞさんのうれしいまなざし~」と題して、講演をしていただきます。講演に先立ち、矢崎先生が講演のポイントをいくつか挙げてくださっています。それは、

 ・まなざしを変える喜び
 ・こだまし合うこころ
 ・丸ごと受け入れるやさしさ
 ・違うことのうれしさ
 ・見えないものこそ大切
 ・すべてのものと共に生きること

の六つです。具体的な内容については、当日の講演を楽しみにすることにして、挙げてくださったポイントについて、事前に少し考えてみたいと思います。

 まず「まなざしを変える喜び」ということですが、「まなざしを変える」とはどんなことなのでしょうか。第一面に紹介している矢崎先生の言葉を借りれば、「私とあなた」から「あなたと私」というまなざしに変えるということでしょう。自分を中心に見る世界では、自分に近いものは大きく、遠いものは小さく見えます。そしてそのような見方は、自分に都合のいいものは大切なもの、都合の悪いものは邪魔なもの、無駄なものという価値判断を生み出します。

 しかし、ちょっと視点を変えて、相手の側から見てみると、自分にとって大きく見えるものが小さく、小さく見えるものが大きく見える、ということがわかります。にもかかわらず、私たちはつい、自分の見方だけが正しい、と自分の見方、考え方にとらわれてしまうのです。光と陰は離れることができません。負けのない勝ちはありません。喜びと悲しみ、生と死は二つながら一つなのです。自分中心のまなざしを変えることで、一見、相反することがらが、そのまま一つであり、自分が避けたいこと、無駄だと思っていることの中にも、大切な意味があることが見えてくるのです。

 仏さまの眼は「半眼」と言われますが、それは外のすがたを見るだけでなく、心の内をも見つめておられる、ということを表わしています。このような眼をとおしてこそ、あらゆるものの本当のすがたが見えてくるのだと仏教は説くのです。仏さまの心は、「見えないものこそ大切」であるという、分け隔てのない智慧と、すべてのものを「丸ごと受け入れていく」慈悲の心です。金子みすゞさんの詩には、仏さまの智慧と慈悲に満ちあふれています。

 みすゞさんの詩に、しずかに心を傾け、また、口ずさんでみると、「違うことのうれしさ」と、「すべてのものと共に生きること」による充足感が、心いっぱいに広がってきます。ぜひ、一人でも多くの人に、金子みすゞさんの詩の魅力に出会っていただければと思います。

一切の業繋ものぞこりぬ(73号より)


 ストレス流行と癒し流行が、現代を象徴する風潮であると言われます。こうした風潮に対して、精神分析者の岸田秀氏は、

 ストレスは排除しなければならないもの で、ストレスを排除した状態を良い状態 と考える社会、あるいはストレスを悪と 決めつけている社会、人生は明るく楽し いものであるはずで、辛いことや苦しい ことはあってはならない不当なことと見 なす社会、これは戦後日本の平和ボケ社 会の象徴とも言えるでしょう。

と厳しく指摘されています。私たち人間は、けっして一人で生きることはできないわけですから、当然、生きていれば、自分の思い通りにならず、悩んだり、苦しんだり、葛藤したりということは起こってくるわけです。にもかかわらず、自分の都合の良い善だけを追い求め、現実には妄想でしかない価値観に振り回され、かえって息苦しく、住みにくい世の中にしているというのが、現代のすがたなのでしょう。

 精神科医の片田珠美氏も、現代の流行病とも言われる「うつ」の治療に携わる中で、パキシルなどの「抗うつ薬」に頼りがちな医療現場や、患者に注意を促して、

 重要なのは、落胆や悲嘆を解消してくれ る「魔法の薬」などないということです。 自分の中の悪魔を追い払うことも、押し 殺すこともできません。その影と共に生 きていかなければならないのが人間とい うものなのですから…。治るということ は、楽になるということではないと思い ます。治るとは苦悩を受け入れ、それに 耐え得る自分になることでもあるのです。

と言われています。
 そもそも、仏教は苦悩多き人生を、その苦悩から逃げるのでなく、その苦悩にも大切な意味を見出しながら、限りある人生を心豊かに生き抜いていく道を示されたものでした。妙好人と呼ばれた六連島(山口県下関沖の島)のお軽さんは、幾多の苦難に遭遇しながらも、命がけの聞法、求道によって、その苦境を乗り越え、ようやくたどり着いた心境を、

  重荷背負うて山坂すれど
  ご恩思えば苦にならず

と、晴々と歌い上げています。親鸞聖人が、「一切の業繋ものぞこりぬ」(あらゆる行為や思いの束縛から解放されていく)と言われた究極のより所、まことのお念仏の心を、しっかりと聞き開いていきたいものです。

代わりのきかない「命」(72号より)


 「命」の大きな特徴の一つに「代わりがきかない」ということがあります。どんな便利なものにも、代用品がありますが、命には、その命に代わるものはありません。その命の問題を解決するところにこそ、宗教の存在意義があります。
 
 月刊誌『MOKU(黙)』の三月号の特集記事「カネの幻想」に、その一文として西村恵信師の「貧の眼差し」と題した記事が出ていました。西村恵信師は、二歳の時に出家し、臨済宗妙心寺派の僧籍に入り、後に花園大学の学長まで勤められた方ですが、出身は五個荘なので、ご存じの方もあるかと思います。西村師は、その記事の中で、

 通貨といわれるように、お金ほど他人と共有できるものはありません。百円はあたなにとっても私にとっても百円です。しかし、人間というものは絶対に共有できない。私がお腹が空いてもあなたにご飯を食べてもらえない。病気になって苦しんでいても代わってあげることができない。夫婦であっても親子であっても、二人の間には飛び越せない淵があります。一人ひとりは完全に独立です。(乃至)私が生きている、ご飯を食べている、歯が疼く……。全部個人持ち、そこにだけ宗教固有の領域があるのです。

と指摘されています。このように、代わりきかない命を生きていますから、私の過去の一つ一つの体験の積み重ねが、今の私のすべてであり、私たちは今、そのような私自身の人生の流れの最先端に立っているのです。美しい花を見て感動したり、辛い体験をして涙したり、おもしろい話を聞いて笑ったり…。その一つ一つの体験が、他の誰でもない「私」となっていくのです。

 『大無量寿経』の中に「人、世間愛欲のなかにありて、独り生れ独り死し、独り去り独り来る。行に当りて苦楽の地に至り趣く。身みづからこれを当くるに、代るものあることなし」と説かれているのも、こうした「命の現実の厳しさ」を知らせるためなのでしょう。

 「お金がすべて」という価値観が横行していますが、「代わりのきかない私の命」の問題は、お金では解決できないことを肝に銘じて、仏法聴聞に心をかけたいものです。

らしくあれば(71号より)


  「らしくあれば、ええのどす……」五歳で祇園の芸妓置屋の跡取りになり、いつしか全国の花柳界でもその名を知られるようになった岩崎峰子さんは、国内外の政財界の重鎮から多くのことを学び、接客のプロフェッショナルとしての心技を磨き続け、美意識という視座を踏まえて、「男らしさ」「女らしさ」について語っておられます。

 一つには、「男らしさ」とか、「女らしさ」というのは、学校で学習していくものではなく、家庭で身につけるべきものであること。コップ一つの扱い方も、それに水が入っているのか、お湯が入っているのか、どれくらい入っているのか、どういう形の器に入っているのかによって、触れ方、持ち方、置き方、渡し方が違ってくる。そういうことを学ぶ機会が、本来、家庭の中には常にあるし、それを教えるのが家庭にいる親の役目でもあると。

 そして二つには、「男らしさ」「女らしさ」「父親らしさ」「母親らしさ」の「らしさ」というのは、カチンコチンに「ねばならない」ということではなくて、柔軟さをもっているものだということ。そして親も子も心開いて、男も女も心開いて、そのまんま「らしく」あればいい。親は親のまんまを見せないといけない……と。

 「しつけ」という言葉が、「躾」という字で表されるように、「しつけ」の基本は「美しさ」を感じる心なのでしょう。そして、「しつけ」には、身を美しく磨くことと共に、柔軟な心を持つことも大切なのだと思います。

 阿弥陀さまの願いの中に「触光柔軟の願」というのがあります。仏さまのお慈悲に触れ、柔らかい心を持ち、「自分らしさ」とは何かを考えながら、生きていきたいと思います。  

念仏者は無碍の一道なり(70号より)


 先日、池田晶子さんの『十四歳からの哲学~考えるための教科書』という本を読みました。中学生に向けて、語るような文章で書かれてはいますが、中学生向けとはいっても、けっしてやさしく書かれたものではなく、実に奥深い内容の本でした。

 私たちは、理想と現実について考える時、「理想主義者」「現実主義者」という言葉もあるように、また、「理想としてはそうだけど、現実は厳しいよ」という言い方をするように、理想は理想、現実は現実と、分けて考えます。しかし「現実はこうなんだよ」と言い切ってしまった瞬間、その現実は全く未来を持つことのない、空虚なものになってしまうのです。現実は、豊かな理想を内に抱いてはじめて、輝かしい未来を内に秘めた、豊かな現実になり得ます。

 また、悪ということについて考える時、これは法律上、罪になるから悪であるとか、社会的常識から考えて悪であると言ったりします。そして不正が発覚すると「悪いと知りながら、ついやってしまった」という弁解をします。しかし本当にそうなのでしょうか。よくよく考えると、いわゆる「不正」であっても、自分にとっては「都合のよい」ことだから、それを平気でやることができるのでしょう。結局、私たちの考える「良いこと」とは「私にとって得なこと」であり、「悪いこと」とは「私にとって損なこと」ということであって、「善悪の基準」は、自らの内にある「損得の基準」なのだということがわかります。
 
 さて、表題の「念仏者は無碍の一道なり」とは、有名な『歎異抄』第七条の言葉ですが、第七条には、

 念仏者は、何ものにもさまたげられないただひとすじの道を歩むものです。それはなぜかというと、本願を信じて念仏する人には、あらゆる神々が敬ってひれ伏し、悪魔も、よこしまな教えを信じるものも、その歩みをさまたげることはなく、また、どのような罪悪もその報いをもたらすことはできず、どのような善も本願の念仏には及ばないからです。(浄土真宗聖典 『歎異抄』現代語版)

と述べられています。
 まことの念仏者は、仏さまの悟りの世界、浄土から届いている言葉を拠り所に生きていきますから、人間の本当のあるべき姿(理想)を鏡とし、本当の損得とは何かを知り、本当の喜びとは何かを知っていますから、どのような誘惑にも、けっして惑わされることがないと言われているのです。

あなたと私~金子みすゞのまなざし~(69号より)


 大正末期、すぐれた作品を発表し、西条八十に「若き童謡詩人の巨星」とまで賞賛されながら、二十六歳の若さで世を去った金子みすゞさん。没後その作品は散逸し、幻の童謡詩人として語り継がれるばかりとなっていました。

 作家で、童謡詩人の矢崎節夫氏は、学生時代に金子みすゞさんの「大漁」という詩に感銘を受け、長年の努力によって、散逸していたみすゞさんの遺稿集を発掘し、現代にあざやかに蘇らせ、日本のみならず、世界の人々に金子みすゞの宇宙《コスモス》を届けてくださっています。
 その矢崎節夫氏は、「金子みすゞのまなざしは、みなさんの中の一番大好きなまなざしなのです。みなさんの中にみすゞさんを見つけることが出来たとき、人はとても幸せな思いになれるのです」とおっしゃっています。
 
   朝焼小焼だ 大漁だ
   大羽鰯の 大漁だ。
   浜はまつりのようだけど
   海のなかでは何万の
   鰯のとむらいするだろう。

 金子みすゞさんのまなざしは、この「大漁」という詩に見られるように、いつも、喜びと悲しみ、光と陰、生と死というふうに、対立しているものに、同じように向けられ、私たちが忘れていることを教えてくれるのです。

 私たちは、「私」と「あなた」というふうに、自分以外の人やものを、いつでも自分中心にとらえます。そして、高いところから他者を見下し、「なぜ、私の言うことがわからないの」と相手を批難し、攻撃します。でも、本当に「わかる」とは、英語でもアンダー・スダントというように、下に立つということ、つまり他者の立場に立ち、「あなた」と「私」というふうに見ていくことなのだと、金子みすゞさんは教えてくれます。

  私が両手をひろげても
  お空はちっとも飛べないが
  飛べる小鳥は私のように
  地面を速くは走れない

  私がからだをゆすっても
  きれいな音は出ないけど
  あの鳴る鈴は私のように
  たくさんな歌は知らないよ

  鈴と、小鳥と、それから私
  みんなちがって、みんないい。

 金子みすゞさんの詩に溢れている優しさは、他者をそのまま受け容れて、しかも、他者に対する敬いの心を忘れない、仏さまのようなまなざしによるものなのです。
 

今を生きる私のためにこそ(68号より)


 先日、ある都市部のお寺のご住職から、こんな話を聞きました。

  ある日、突然、中年のご婦人がお寺を訪ねて来られ、用件を聞いてみると「主人の七回忌法要を勤めてもらえませんか」ということでした。「もし、近くにお手次ぎのお寺がないのなら、こちらでお勤めさせて頂きますので、法名を教えて頂けますか」と返事すると、一瞬とまどうような顔をされました。

 そこで「葬儀の時に付けてもらった名前があるでしょう」と、あらためてご住職が言われると、ご婦人は「主人の遺言にしたがって、お葬式はせず、遺骨は海に散骨しました」と答えられたのです。

 「それなら、七回忌をお勤めされる必要はないのではありませんか」と、ご住職が言われると、申し訳なさそうに、「葬儀を終えて、三年目くらいまでは、主人の遺言にしたがったのだから、これでよかったと思っていましたが、四年経ち、五年経ちしているうちに、遺された私の方が、どうしても落ち着けなくなってきたのです」と涙ながらに、心情を告白されたというのです。

 最近では、葬儀もせず、霊柩車だけ頼んで、火葬場で荼毘に付し、遺骨を拾うだけという人も増えてきている、という新聞の特集記事もありました。しかし、はからずもこの女性が告白されているように、人間にとって死は、遺される者にとっても、大切な意味を持っているのです。
 
 浄土真宗の葬儀は、一般に言われているように「告別式」ではありません。生前に阿弥陀さまのお育てを受けた者が、この世の命を終えると同時に浄土に生まれ、仏になった身として、遺された人たちに、大切なご法縁を結んでいく、宗教的儀式なのです。お棺に七条袈裟を掛けるのは、故人をお導師に見立てているからだと聞いたことがあります。

 たとえこの世の命を終え、今生においてひとたびの別れをしようとも、それは永遠の別れではなく、やがて悟りの世界で、再び相見えることができる。また、浄土に生まれれば、迷いの世界に還り来たって、人々を救うはたらきをさせていただける。

 浄土は、ただ死後にのみ意味のある世界界ではなく、そのはたらきは、今すでに「南無阿弥陀仏」という喚び声となって、今を生きる私たちのために届けられていることを、よくよく聞き開かせていただきたいと思います。

力みのない生き方(67号より)


 「からだの仕組みをよく知れば、誰でも必ず上達できる」という甘い言葉に誘われて、ギタリストの井桁典子さんが紹介されていた『ピアニストならだれでも知っておきたい「からだ」のこと』という本を購入し、読んでみました。「目から鱗」でした。

 なぜこの本のことを、ここで紹介するかというと、この本に書かれていることは、ピアニストだけではなく、からだを使うこと、つまりは生きていく上での、大切なヒントを与えてくれていると思うからです。

 もともと、この本がまとめられたのは、からだの仕組みを知らない、あるいは間違った知り方をしているために、故障を引き起こしたり、上達をさまたげるようなピアノの練習方法が、割と一般的に行われているからなのだそうです。

 そもそも、私たち人間のからだを構成している骨格や筋肉は、人間に必要な動作を機能的に行うために発達してきました。けれども、骨や筋肉は外からは見えないために、日常生活の中で、あまりその構造や、はたらきを知ることがなく、無駄な力を使ったり、無理な動きをしたり、また、本当はもう少しよく動くのに、動かないと思いこんでしまっている場合が多いのです。

 この本を読んでみて、正しい骨格の構造や、筋肉の役割を少し意識するだけで、ずいぶん今までより体が自然に動くようになることがわかります。一例を挙げると、指は、指にある筋肉で動かしていると思っている人が多いと思いますが、実は、指を動かしているのは、前腕(肘と手首の間)にある筋肉なのです。それを知らずに、指に力を入れて動かそうとしますが、本当は、指の力を抜いて、前腕の筋肉を意識する方が、指はよく動くことがわかります。

 前置きが長くなりました。私たちは、日常生活の中で、力を入れなくてもよいところで力み、かえってぎくしゃくしたり、苦しみや悩みを生み出している、ということがないでしょうか? お釈迦さまは、正しいものの見方で生きようと教えられましたが、残念ながら、なかなかそのようには生きられません。だからこそ阿弥陀さまは、自力のはからいを捨て、我にまかせよと、仰せです。仏さまの言葉によって、自らの分をよくわきまえた生き方をしたいものですね。 

つながるために(66号より)


 今年は、いじめによる自殺問題が大きく取り上げられ、学校教育のあり方も様々なところで議論されました。しかし、学校が「学びの場」であることや、人間にとって「学ぶ」とはどういうことか、という基本的なことについては、残念ながらあまり言及されていません。

 「勉強しなさい」という親に対して、「なぜ勉強しなければならないの」と子どもは反論します。親の答えは決まって「いい学校に進学するため」「いい職場につくため」です。しかし、ここには学ぶこと自体の楽しさはありません。また、これらの目的は他の児童、生徒より良い成績を取らなければ達成されないのですから、当然そこには落ちこぼれが生まれてしまうのです。

 ノーベル文学賞作家の大江健三郎さんは、「『自分の木』の下で」の中で、知的障害者である息子さんと音楽のことを紹介された後、次のように述べておられます。

 国語だけじゃなく、理科も算数も、 体操も音楽も、自分をしっかり理解し、他の人たちとつながってゆくための言葉です。外国語も同じです。そのことを習うために、いつの世の中でも、子供は学校へ行くのだ、と私は思います。

 人間が社会的な生き物であり、一人では生きていけないかぎり、他の人たちとつながってゆくすべを持つことは、とても大切なことであり、また、そのつながりを感ずる中にこそ、生きる実感も出てくるのだと思います。大江健三郎さんの言葉が広がっていけば、学校現場のあり方も、世の中の考え方も少しは変わるのではないでしょうか。

真情(まごころ)と誇り(65号より)


 最近の日本の世情を見ていると、人間としての誇りを失ってしまったのではないか、とさえ思われ、暗澹たる気持ちになることがあります。しかし、日本人は本来、誠実さ、謙虚さというものを持っていて、外国の人々からも尊敬を受けていた、という話を聞かせていただきました。

 北朝鮮の拉致問題で大きな役割を果たし、安倍新内閣でもその手腕が期待されている中山恭子さんが、かつてウズベキスタン共和国の特命全権大使であった時、隣国のキルギスで日本人鉱山技師四人と通訳らが、テロ集団によって拉致されるという事件がありました。

 この事件が解決するのに大きな役割を果たしたのは、実はウズベキスタンの人たちだったというのです。ウズベキスタンをはじめとする中央アジアの人々は「日本人は友達であって、日本人が自分たちの国で傷つくことは許さない」と、あらゆる手段を使い、大きな危険が伴っても全力で救出にあたってくれたのです。

 戦後シベリアに抑留されていた日本の人々が中央アジアに強制移送され、重労働に従事させられ、道路や運河、水力発電所や劇場などの建造物を建設しました。その時の日本人の仕事ぶりや生活の有様が、ウズベキスタン各地で語り継がれています。 「日本人は規律正しく、自分の仕事をとても大事にしていた。だれかが病気になればみんなで助け合った。日本人のつくるものはすべていいものだった。とてもいい人たちだった」と、日本人と一緒に仕事をしたというおじいさんが語ってくれた。中山さんは、そうおっしゃっていました。

 もう一つ、感銘を受けた話を紹介します。健康事業総合財団「東京顕微鏡」理事長を務めておられる、下村満子さんの話です。私たちが基本に据える「人生の方程式」と呼ぶのは、「人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力」です。つまり「能力」の優先順位は最後でいいのです。最も大切なのは「考え方」で、それは仲間のために尽くすことや、患者さんやお客様第一主義で、相手の立場に立った仕事への取り組みなど、利己でなく利他です。(中略)能力や学歴が高くても、考え方が利己的だったり、人をバカにしたり、傲慢になって精いっぱい仕事をしない人、そういう人は、うちでの人事評価は当然低くなります…。

 トップに立つ人が、このような考え方を持っている組織こそ、すばらしい仕事ができるのだろうと思ったことであります。どんな小さなことにも真情(まごころ)をもって当たり、人生に誇りをもって生きていきたいものですね。

仏教に求められること(64号より)


 現代の日本では、一般的に仏教、あるいはお寺とは、人が亡くなった時にしか縁のないもの、というふうに考えておられる方が多いのではないでしょうか。残念ながら、浄土真宗のご門徒の方といえども、葬儀や年回法要などを除けば、お寺に足を運ばれる方は、けっして多くはない、というのが現状です。

 しかし、お釈迦さまの開かれた仏教は、けっして亡くなった人のためだけにあるものではありません。そのことは、お釈迦さまの偉大さを語り継がれた伝記からも、はっきりと窺うことができます。

 お釈迦さまは、誕生されるやいなや、東西南北に七歩あるいて、右手の人差し指で天を指し、左手の人差し指で地を指して、「天上天下、唯我独尊。三界皆苦、吾当安之」と宣言されたと伝えられています。この宣言には、さまざまなものや、言葉にとらわれ、怖れ、悩み、苦しみを抱きながら生きていかなければならない私たちの世界に、ただお釈迦さまお一人が、本当の安らぎの道を開いていかれたことが示されています。また、東西南北に七歩あるいたというのは、私たちのとらわれによって作り出されていく、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上という、六つの迷いの世界を完全に超えはなれ、大悲に満たされた世界を、お釈迦さまが生きられたことをあらわしているのです。

 龍樹菩薩をはじめとした浄土真宗の七高僧、そしてその教えを受けた親鸞聖人も、お釈迦さまの歩まれた大悲の道を、真剣に求めていかれたのです。ところが、私たち現代人は、多くの祖師方によって培われたきた仏教の説く、大切な意味を忘れてしまっています。夜回り先生と呼ばれている水谷修氏も、その著『あした笑顔になあれ』の中で、

  悩み、苦しみ、煩悩、あるいは人生 の苦、そういったものに、世界の歴史 のなかでいちばんの救いとなってきた のは、本来は仏教をはじめとした宗教 だったと私は思います。とくに日本で は、ほとけの教えだったのではないで しょうか。こころを病む子どもたちが これだけ多いということは、ある意味 では、ほとけの道が廃れたということ です。裏返していえば、ほとけの道が、 大人にも子どもたちにもきちんと語り 継がれていないということではないで しょうか。日本で長い時間を費やして根づいた 仏教というものが、先細りになってい ませんか。子どもたちの明日づくりに 手を差し伸べるということは、その次 の一〇〇〇年をつくるための、大切な 宗教的行事の一つだと思っています。

と書いています。心して、耳を傾けなければならないことだと思います。

「もったいない」ということ(63号より)


 アフリカの女性として初めてノーベル平和賞を受けた、ケニアのワンガリ・マータイさんが、彼女を日本に招待した毎日新聞から取材を受けているとき、日本には「勿体ない」という言葉があることを知って、とても感動し、これを世界共通語にしようと「MOTTAINAI」キャンペーンを始めた、という話を耳にされた方は多いと思います。

 三十年近くにわたって、数千万本の木を植えるという活動をとおして、自然環境を守ることの大切さを世界中に訴え続けている彼女を感動させたのは、「勿体ない」という言葉の持つ意味が、「その物が持っている本来の価値が生かされずに、誠に惜しい」ということだ、と聞いたからでした。

 残念ながら、この言葉を生んだ日本はというと、経済的に豊かになるにつれ、「勿体ない」という言葉を口にすることさえ少なくなってしまいました。 実はこの「勿体ない」という言葉には、物だけではなく、その奥に「心の働き」も潜んでいるのです。シンガー・ソングライターのさだまさしさんの『とこしえ』というアルバムの中におさめられている「MOTTAINAI」という歌の中に

  親が命懸けで生んでくれて
  それなりに必死になって育ててくれて
  なのに自分だけで育った気になるなんて
  MOTTAINAI
  転んだら怪我を心配し
  離れれば健康を心配し
  いつも子供の人生を思ってるのに
  気づかないなんて
  MOTTAINAI

という歌詞があります。幼稚園や保育園に子供を預けても、「お金を出しているのだから、園の人が世話をするのは当たり前」という親がいる時代です。子供が、無償の愛や、恵みに気づかないのも仕方のないことかもしれません。でも、これは大変不幸なことではないでしょうか。

 こんな時代ですから、苦悩多き娑婆世界を生きる私のために、真の安らぎの世界を知らせ、分け隔てない慈悲を与えて、私を救い取ろうとはたらき続けてくださっている阿弥陀さまのお心を受けとることも、また伝えていくことも、至難のことです。
 それでも、阿弥陀さまのお慈悲のありがたさ、尊さに気づいたなら、それを伝えていかないのは、それこそ「もったい」ことだと思うのです。

いのちの不思議に感謝する(62号より)


 わが国を代表する生命科学者である中村桂子氏は、『ゲノムが語る生命』という著書の中で、

  人間は文化をもち、育児にも新しい技術や考え方が使われますが、子どもの中にある三十八億年の生命の歴史は他の生きものと変わりはなく、それを繙くところも同じであり、それを無視し  た文化はあり得ません。

と、たった一つのいのちが、すべてのいのちと繋がって存在しているのだといわれています。ここで「子どもの中にある三十八億年の生命の歴史」といわれているのは、胎児が母胎の中で成長する過程は生命が誕生し、人間にまで進化していく三十八億年の「生命の歴史」の再現であるということなのだそうです。ということは、私たちのいのちは、母親の胎内に宿る以前からの、想像もつかないほどの長い「いのちの旅路」を経て、ようやく一人の人間としての生を受けたことになるのです。

 また、出産時の命の危険性が下がり、つい忘れがちになりますが、産婦の壮絶な陣痛と、仮死状態で産道から生まれ出る嬰児の苦痛は、いのちの営み、いのちの存続が、常に生と死のはざまにあり、その「いのち」がいかに重大でかけがえのないものであるかを物語っています。その意味でいえば、一人の人間が誕生し、生きているということ自体が奇跡というほかはありません。

 このような「いのちの営みの不思議」「生きていることの奇跡」が忘れられているというところにこそ、今日のような、幼い子どもたちの命が簡単に奪われるという悲劇的な事件が多発する原因があるのではないでしょうか。仏教者の松原哲明氏は、

  「なぜ生き物を大切にしなければなら  ないのか」「なぜ私はここにいるのか」  そういったことに答えるためには、生  きていることが何にもまして尊いのだ  という生命存在の基本のところに哲学  的アプローチによって触れていくしか  ないのです。

と言っています。仏さまの教えは、このような「いのちの不思議」「いのちの尊さ」に感謝する生き方を教えてくれるものなのです。

報恩ということ(61号より)


 親鸞聖人のご命日法要のことを「報恩講」と呼びます。ご本山はもとより、浄土真宗の各末寺で、毎年必ず「報恩講」が勤まります。

 さて、「報恩」とは「受けた恩に報いること」であり、その反対語は「忘恩」、つまり恩を忘れるということです。「恩」とは、仏教では「クリタ」(なされたこと)の訳語として用いられる言葉ですから、「報恩」とはまず「なされたことを知る」ということ、と言えます。

 それでは、私たちは親鸞聖人が、私たちのために「なされたこと」を、しっかり受け止めていると言えるでしょうか。蓮如上人時代に生きた、赤尾の道宗という妙好人は、そのご恩を深く身に刻むために、割り木の上に寝たということです。私たちには、そこまではできなくても、せめて親鸞聖人の生涯を通じて、そのご苦労を偲ばせていただきたいものです。
 
 親鸞聖人は、数え年九つの時から、二十九才になるまで、二十年間の長きにわたって、比叡山での厳しい勉学、修行に励まれましたが、仏さまに近づこうとすればするほど、悲しく、浅ましい自分のすがたが見えてくるばかりでした。しかし、そのように自分の本当の姿を、徹底的に見つめていかれたからこそ、「されば、それほどの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」と、阿弥陀仏の本願他力の確かさを仰いで生きることに、迷いはなかったのでしょう。
 
 苦悩多き人生を、確かな足取りで歩んでいけるのも、私たちに念仏の道を開いてくださった親鸞聖人のおかげであることを、しっかりと聞き開かせていただきましょう。

人生の遠近法(60号より)


 絵画などで、眼に見えるのと同じような距離感で画面に描く方法を「遠近法」といいます。これは、私たちの眼が「近いものは大きく、遠いものは小さく」とらえるという性質を逆用したものです。つまり、「大小を遠近と受け止める」という私たちの「認識上の錯覚」があるからこそ、「遠近法」という描画法は成立するのです。

 先日の毎日新聞に、専門編集委員の梅津時比古氏が『音のかなたへ』というコラムの中で、「遠近法」と題した興味深い一文を書いていました。
 
 遠近法は、絵と同じように、音楽にもある。
 それは、音源のなかから近景の旋律を浮かび上がらせる方法などいろいろあるけれども、いちばん分かりやすいのは、弱音から始まって次第に強くなり、クライマックスを迎え、再び徐々に弱くなってゆくという構造だろう。音が近づいてきて、まぢかで大きくなり、やがて遠ざかってゆくような、時間に沿った遠近を感じさせる。

 という内容から始まって、いくつかの曲について解説を加えた後、この話は人生観へと展開していくのです。

 本質的な振幅を持つ深い演奏につられて、人生の遠近法について考えた。そこでは、近いことが大きく見えるとは限らない。時間の多寡(多い少ない)で測るのではなく、印象の深浅で構成されるからだろう。だから時の線がすっきりと見通せず、自分をとらえることができない。

 ふと、幸福の度合いで遠近法ができればいいのに、と思った。いちばん苦しかったことが遠くへ消えてゆき、わずかでも幸せだったことがいつも近くに大きく見える。それなら、少しの幸せでも、生きていける。

 音楽についてのコラムでありながら、話が人生論へと展開し、しかも「ものごとの捉え方」が生きる力となり得るのだ、ということをさり気なく語っているところに、注目させられます。
 さて、仏教では私たちの認識そのものが「虚妄分別」なのだと教えます。それは私の都合を中心とした、私の心の遠近法によって描かれた錯覚の世界だからです。それに対して、仏さまのご覧になる世界は、自他の分け隔てを超えたところ見えてくる、ありのままの世界です。いま一度、仏さまの確かな眼を基準に、自分の人生を見直してみたいですね。

大切にすべきこと(59号より)


 作家の藤本義一氏が、ある雑誌の中でこんなことを書いています。

 真の祈りがなくなった時代を痛感する。
これは、少年院や少年鑑別所を取材している時、少年たちと語っていた時に、ふと気づいた。彼らの家には仏壇がないという事実がわかった。両親、祖父母の祈っている姿を見たことがないという。(略)

 私は世界の四十カ国以上を取材し、国々の家庭を訪ねたが、祈りの対象がなかった国はない。貧しいバングラデシュの家にも土器に突き立てられている古い小さな木があったし、貧しいインドの農家の壁には泥絵具で書かれた樹と枝と葉と実があり、少なくとも十三代前の先祖の名前が書かれていた。

 朝、長老の祈りからはじまり、幼い孫たちも最後に小さな手を合わせていた。現在の生キテイルコトへの感謝を捧げている風景は美しいものだった。(以下略)

 最近多発している悲惨な事件の背景について考えると、決して軽視することのできない指摘です。「祈り」という言葉に抵抗があるとすれば、「感謝」という言葉に置き換えてもいいと思いますが、仏壇がない家庭は、その対象がないわけですから、一日が「感謝」、つまり生かされているということの大切さを忘れた状態で始まるという、現代の多くの日本人の生活のあり方は、生きていく上での基本を欠いていると言わねばなりません。

 ところで、「謝」という字を『漢字源』で調べてみると、「射は、はりつめた矢を手から離しているさま。矢をいれば、弓の緊張がとけてゆるむ。謝は〔言+射〕で、ことばにあらわすことによって、負担や緊張をといて気楽になること」とあります。

 「気楽になる」とは、少し自分本位な感じもしますが、〔他からの行為を〕ありがたいと思うこと。また、ありがたく思って礼をのべること、という意味を持つ「感謝」という言葉には、もともと、「負担をかけて申し訳ありません」と、相手に詫びる気持ちが、その根底にあることがわかります。

 思えば、食前に「いただきます」というのも、「他の生きものの命をいただいて、今日の私の命を生かさせてもらいます。申し訳ありません」という意味なのですが、ふだんはそのことをすっかり忘れていますし、「いただきます」という言葉さえ口にしない場面も、最近では多く見かけられるようになりました。

 物の豊かさや、便利さだけに目を奪われがちな現代の私たちですが、本当に大切なことは、「朝夕の礼拝」という日常生活の基本の中にこそある、ということを知らされます。

生きているという実感(58号より)


 世の中では「能力主義」という言葉が力を持ち、「勝ち組」「負け組」という言葉で人を区分けし、世の中不況だという一方で、テレビでは「セレブ」な人たちの優雅な生活が紹介されたりもします。そうした中、普通に生活をしている人たちが、日常的な自分を「つまらないもの」「間違っているもの」としか受け取れず、漠然とした不安を募らせながら生きていかざるを得ない、という世の中になりつつあります。

 こうした状況の中で、私たちが生きている」という実感を感じながら、ごく日常的な生活の中にも感謝の心を持って生きることは、はたしてできるのでしょうか。

 福祉・医療をテーマに取材を続けているフリー・ライターの渡辺一史氏が、ある雑誌の対談の中で、そのことに答えるべきヒントを、次のように語っています。
 
 ボランティアを取材したとき痛感したことなんですが、ボランティアして障害者を助けることで、逆に健常者も生きていけるところがある。結局、「人を支える」ことで、「支えられているんだ」という感性を持つことがとっても大切だという気がします。(中略) わかったのは、結局、「自分探し」というのは、自分一人でやっても何の答えもでないんだということ。自分の「意味」を与えてくれるのは、やっぱり他者でしかないんだと。その単純な原理に気づいたし、思えば社会ってそういうものだな、と。
 
 「おかげさま」という言葉が死語なった時代だとよく言われますが、物は豊かになっても、今は逆に渡辺氏のいう「単純な原理」に、気づきにくい時代なのかもしれません。

 一杯のお茶をいただく時、「お金を出して頼んだのだから、私がお茶を頂くのは当然のことだ」と思うか、「ここにお茶があるのは、お茶を栽培してくださる方、加工してくださる方、それを運んでくれる人、売ってくれる人、お茶を出してくださる方など、さまざまな人のおかげで、このお茶がいただける」と思うかによって、私の心の満たされ方は変わってくるようです。

 「おかげさま」という言葉は、目に見えない多くのはたらきへの感謝の言葉であると共に、私自身が「生きている」あるいは「生かされている」ことを実感するための大切な言葉なのではないかと思います。 

存在意味を支えるもの(57号より)


 横浜甦生病院ホスピス病棟長として、終末期医療にたずさわっておられる小澤竹俊医師は、死を目前にした苦しみの中でも、人間が生きていくための存在意味を見いだす力になるものが、三つあるといわれています。

 一つには、時間の上での存在。私たちは「いま」だけを見ていきているわけではなく、過去の体験に支えられ、将来に向けた「いま」を生きようとすることがあります。人は将来の夢が与えられたとき、嫌な現実、苦しい現実の中でも、がんばって生きようとする力を得ることがあるというのです。
 二つには、関係性の存在。自分の存在は他者から与えられるというもの。人間関係は、その人にとって、プラスにもマイナスにもはたらきます。
 三つ目は自律存在。自分のことを自分で決められる自由が与えられるということ。たとえ体が不自由となった場合でも、自己決定の幅は限定されますが、それでも選択は可能であるというような、自律です。

 第一の、時間の上での存在とは、過去と未来に支えられた今、ということですから、時間的な関係性ともいえます。また、第三の自律存在ということも、主従関係(強弱関係)ではなく、相互相依の関係においてこそ成立し得るものです。ですから、これらの三つは第二の「関係性の存在」ということに集約されるといっていいでしょう。

 実は、すでにお釈迦さまは、約三千年も昔、老・病・死の苦を超える道は、縁起、つまり、あらゆる存在は、互いに支えあっている、ということを知ることである、ということを発見されていたのです。縁起の法は、すべてのいのちと連帯する慈悲の心となり、生きる意味を見失っているものに対しては、「この世の中に、むだなもの、つまらないものなど、一つもない」と知らせる言葉となりました。

 小澤医師の「人は役に立つから存在しているわけではない。役に立たない私でも生きていてよい。そう思える価値基準は、関係性が与えてくれるものです。何もできない自分でも、認めてくれる大切な人との関係性が与えられたならば、ただの私であることだけで尊い存在だと思うことができるのではないでしょうか」という言葉も、そこに帰結するように思われます。

仏さまと私(56号より)


表紙の詩は、中川静村さんが作詞された、仏教讃歌「生きる」の一番の歌詞です。浄土真宗の他力の心を、飾ることなく、素直に、しかもわかりやすく表現した、味わい深い歌詞ですね。

 親鸞聖人が見出された他力とは、自分では何もせず、他人任せに生きるということではなく、私のはからいを超えた、仏さまの恵みの中に生かされている、ということにうなづいて生きることでした。そしてそれは、自分中心であった私の生き方が、仏さまの願いを中心とした、仏さまの願いに喚び覚まされながら生きる生き方に、転換されていくことでもありました。

先日、物理学者の佐治晴夫氏が、教育に関する対談の中で、次のような興味深いことを語っておられました。
…… 今までの教育は「わたしとあなた」だったと思うんですよ。わたしがいてあなたがいて、わたしがいて自然があるという考え方です。すべて自分中心の考え方ですよね。それをひっくりかえして、「あたなとわたし」にする。それは、人間は相手とのかかわりにおいて、その相手、それは自然であり、宇宙であってもいいのですが、その相手を通してしか自分を見ることができないし、自然があって、相手があって自分も存在できるということでしょう。あなたから見た「あなた」としての「わたし」ということです。これはすごく大事な視点です(傍点筆者)……と。

 個性の教育、自由の教育といわれるけれども、結局、自分中心の人間を育ててきただけではないか、という反省に立つ時、佐治さんのご指摘は、傾聴に値するものだと思われます。

苦しみに耐えていく言葉(55号より)


 仏教では、この世のことを「娑婆」といいます。これはインドの言葉「サハー」の音写語で、「忍土」とも翻訳されているように、この世はさまざまな苦しみに耐え忍んでいかなければならない世界である、ということを教えています。

 一方、現代の私たちは二十四時間営業の「コンビニ(コンビニエンス・ストア〔便利なお店〕の略)」に代表されるように、いつでも必要なものが手に入る社会を作り出してきました。これはたいへん便利で、ありがたいことである反面、人間の根本苦である「求不得苦(求めるものが得られない苦しみ)」に堪える力を弱めているのかもしれません。

  「よく切れる(『鋭い』という意味ではありません)子ども」と、そうでない子どもとの違いは何か。それは苦しみや悲しみ、憂いといったものに堪える力がついているかどうか。言いかえれば、そういう言葉を持っているかどうか、というところにあるのではないでしょうか。

 現在、放送されているNHKの朝ドラ「若葉」の中で、先日、こんな場面がありました。五年前、阪神地方を襲った大震災で父を失った、ヒロインの若葉は、母の実家で、母、弟と共に居候生活をしています。いつか神戸に帰りたい、と思っていた若葉は、神戸の造園会社に一端は内定が決まるのですが、会社の吸収合併で内定が取り消されます。

 今さら神戸の就職先を見つけるのは難しく、叔父が宮崎での就職先を斡旋してくれるのですが、若葉がためらっているので、家族会議が開かれることになりました。その時、若葉は「どうしても神戸でなければだめ。ここではだめなの」と訴えます。それを聞いた母は「これまでここでお世話になってきているのに、恩をあだで返すような言葉を口にするのは許せない」と叱ります。若葉は、「これまでのことには感謝しているけど、『いつか緑に囲まれた家を建てよう」というお父さんとの子どもの頃の約束を果たしたい」と、泣きながら胸の内を語りました。しかし、弟の光だけは絶対に納得しないと、若葉の神戸行きを認めません。若葉は弟の気持ちもわかるだけに、どうしたらいいのか悩みます。

 そんな若葉に、祖母が優しく「のさんねぇ」という言葉をかけました。これは、辛いことがあった時に口にする南九州の方言なのです。祖母の言葉には、若葉の心の痛みに共感し、やわらげようとするする温かさがこもっていました。

 久しぶりに聞いた「のさんねぇ」という故郷の言葉に、私も温もりと生きる勇気をもらいました。

日本の持つ未来性(54号より)


私たち日本人にとってみれば、少しも意識していない、ごく当たり前のことでも、外国の人から見れば、日本という国文化の持つ素晴らしさである、ということを知らされることがあります。
 韓国・済州島の生まれで、二十年前、アメリカ留学の足がかりとして日本にやってきた反日世代の呉善花(オ・ソンファ)氏は、日本に対して「好感」から「嫌悪」、そして「理解」へと進み、日本に根を下ろし、私たち日本人が襟を正して聞かなければならないメッセージを送っています。
彼女は、月刊誌『黙』六月号の日本の基底に脈打つ未来性」という特集記事の中で、次のようなことを語っています。
   
 日本に来て私がついていけなかった最大の問題は言葉の使い方でした。日本人は頻繁に受身形を使います。能動的な言い方に慣れていた私は「先生に叱られた」「女房に死なれた」「彼女に振られた」という言い方にも違和感を覚えましたが、「泥棒に入られた」というのには本当に驚いてしまいました。これは意思伝達の問題を超えて、発想の問題に関わってきます。当初私は、受身的な態度を取る日本人はなんて欺瞞的(人をあざむくこと)なんだと思ったものです。
 しかしこの受身形をよく見ていくと、自分にも落ち度があったと、あるいは相手への配慮が感じられるのです。また、日本人が意識の中で主体に重点を置くのではなく、現実の場面、場所、実態に重点を置いていることの表れだと思えてきました。(中略)
 これは日本が西欧ともアジアとも異なる文化基盤をもっていることを如実に物語るものだと思われます。そこに、アジア的な血縁主義に基づく排他的な利己主義を超えるのはもちろんのこと、西欧的な個人主義の限界も超えた未来的な人間関係への可能性が秘められているとかんじられるのです。(傍点筆者)

 いささか買いかぶりの感がないでもありませんが、彼女はこのように日本が特殊な世界を構築できたのは、豊かな風土と、四方を海に囲まれ、直接、侵略を受けたことがなかったから、と見ています。それは、外面的には大きな理由ではあると思いますが、聖徳太子が仏教を政治に取り入れ、「和を以て貴しとなす」と言われたことや、さらに仏教が日本人の心に根付いて、苦悩多き人生をも「おかげさま」といただいてきたということも、内面的に大きな理由であると思うのです。
 向かうべき方向を見失った感のある現代の私たちは、呉善花氏のメッセージに素直に耳を傾け、日本人が基底として持っている素晴らしさを自覚し、世界に対しても誇れる国を取り戻したいと思います。 

その時生まれたもの(53号より)


 先日、たまたまCDショップで手にしたアルバムの中に、私の心をとらえた歌がありました。『涙そうそう』や『島人ぬ宝』など知られる、ビギン(BIGIN)の『その時生まれたもの』という歌ですが、素敵な歌詞なので、そのまま紹介します。ぜひ一度、口ずさんでみてください。

  大空に輝く星よりも  小さな島の街灯り
  街の灯りが美しい   美しいことを知りました
  十人十色であればこそ  瞬き輝きを増す光
  そこに家族が見えました そこに人々が見えました

  あぁ 自分の為に生きるより  あぁ 貴方の為に暮らしたいと
  その時 灯りが生まれました  その時 灯りが生まれました

  明日くるはずの幸よりも  過ぎて行く昨日の苦しみが
  苦しみの方が愛しい    愛しいことを知りました
  一期一会であればこそ   傷つきいたわりを増す心
  そこに運命が聞こえました そこに命が聞こえました
  
  あぁ 自分の為に歌うより  あぁ 貴方の為に届けたいと
  その時 歌が生まれました その時 歌が生まれました

 「自分さえよければ」という心をちょっと横に置いてみたら、自分のまわりの人の光が、私の光を増してくれるものであることに、誰でも気づくことができます。「あなたのために生きていたい」と思う人に出会った瞬間、私の心の中に本当の「いのちの灯り」がともります。この命が、かけがえのないものであり、この出会いが、ただ一度きりの出会いであると思えば、苦しみさえ、愛しく思えてきます。そして私の心は豊かになります。私の思いを誰かに届けたいと思った時、歌は生まれるのです。

 そういえば、お念仏は、私たち一人一人を愛しく思ってくださる仏さまが、「いつもあなたのそばにいるよ」と告げてくださる、仏さまから届けられた「仏さまの歌」なのだと、親鸞さまも教えてくださっていました。

浄土は命の拠り所(52号より)


春のお彼岸の季節となりました。日本では古来より、春秋のお彼岸に、西方極楽浄土を想い、わが命の行く末の安穏なることを念じて、さまざまな宗教行事が行われてきました。春秋のお彼岸の中日には、太陽が真東から昇り、真西に沈みますが、太陽の沈む西の方に、阿弥陀仏の極楽浄土があると、仏教経典には説かれているからです。

目に見える者しか信用しない、現代科学の知識的洗礼を受けた者にとって、西方極楽世界など、夢のようなおとぎ話、くらいにしか受け取れないかもしれませんが、経典に「西方に極楽浄土あり」と説かれたのには、深い宗教的な意味がありました。

東という方角が、大東島(おおあがりじま)の地名にように、「上がり」すなわち太陽が昇る方角であるのに対して、西は西表島(いりおもてじま)という地名に見られるように、「入り」すなわち日の沈む方角を指しています。地球上に熱と光を与え、万物を育てる太陽が昇る東という方角は、万物を生み出す象徴であるのに対して、太陽の沈む西という方角は、万物の帰する所の象徴であるといえるでしょう。

今日、親が子を殺し、子が親を殺す。また逆に「相手は誰でもよかった、ただムシャクシャしただけ」という理由で、通りすがりの人を、簡単に傷つけたり、殺害したりするというような、痛ましい事件の報道を耳にするたびに、命の帰するところを見失った人間の、あさましく、また悲しむべき姿に、ただ心を痛めるばかりです。

しかし、すでに阿弥陀さまは、生きるよりどころを失えば、人間はどのようなことをしでかすかわからない、弱くて危ない存在であるかを見抜いて、本当のよりどころがここにあるぞと、声となって私たち一人一人を喚びつづけてくださっていました。  親鸞聖人が、阿弥陀さまの救いを「浄土真宗」と名づけてくださったのも、阿弥陀さまの本願名号は、悟りの世界、西方極楽浄土から、私たちの本当の生きるよりどころとなって、一人一人の上に生きてはたらいてくださるからです。 

  今日もまた 連れてゆくぞの声聞かば
  道知らぬ身も 迷いやはする

  春季永代経法要に、ご縁を結んでいただいて、しっかりとお聞かせにあずかりたいものです。

生かされて生きる(51号より)


 月刊誌『黙』の十二月号の巻頭言に、発行人の山口陽一氏が、

われわれは、「生かされて生きる」という「いのち」のつながりの中でしか生きられない。三十八億年前に水の惑星・地球につむぎ出されたという「いのち」は、想像を絶するような悠久の時空を経て、私たち人類を生み出した。一つひとつの「いのち」は有限でも、生命連鎖のメカニズムは三十八億年前から無限に生き続けてきた。そういう意味では、地球の歴史は、そのまま生命の歴史そのものといっていい。(中略)「生かされて生きる」という生命のつながりには、現実に展開される利害得失や栄枯盛衰という人間の営みや生きるかたちからは可視できない(見ることができない)、大きく深い、妥協のない厳然として「それ以上のなにものか」が蔵されているのかもしれない。

と述べ、最後に、

「いのち」のつながり、そして連鎖。その中からつむぎ出される個性豊かな「いのちの実相」。そうした「いのち」の循環の中で生かされて生きる人類。人類の未来は、この「いのち」のつながりと連鎖が生み出す「それ以上のなにものか」に託されているのかもしれない。

と結んでいます。 「生きとし生けるものを救う」という阿弥陀仏のご本願は、「それ以上のなにものか」に、私たちが生かされていることを告げる言葉であるといえるでしょう。