雲霧の下あきらかにして(100号より)


 誰しも思い通りにならないことにぶつかると、たとえ表面では平静を装っていても、心の内では「なぜ自分だけがこんな辛い目にあわなければならないのか」と嘆いたり、あるいはまた、その生き辛さを誰かのせいにして、不平不満を口にしながら、なんとかその場しのぎをして生きていくことになります。あるいは逆に、ことがうまくいくと、つい有頂天になって、我を見失ってしまう、ということもあります。

 よくよく我が身を振り返ってみると、私たちはその時の状況や、自分の感情に振り回され、ただ一度きりの、誰にも代わってもらうことのできない、かけがえの人生を、ただ空しく、いたずらに過ごしているだけというのが、いつわらざる私たちの姿ではないでしょうか。

 そうした私たちの姿を、お釈迦さまは、「人、世間愛欲のなかにありて、独り生れ独り死し、独り去り独り来る。行に当りて苦楽の地に至り趣く。身みづからこれを当くるに、代るものあることなし。」(『大無量寿経』)という厳しい言葉で示されています。

 そのような私たちに、「まことの道を聞き開いて生きてほしい」と願わずにはおれなかったのが、阿弥陀如来という仏さまなのだと教えてくださっているのです。その阿弥陀さまは、私たちが願いもたのみもしないのに、ただ「私にまかせてくれ、必ずたすける」と私をよび続けてくださるのです。

 そんなことを言っても、苦しいことや、悲しいこと、辛いことが無くなるわけじゃない、どこに仏さまの救いがあるのか、と私たちは考えます。だからこそ、親鸞聖人は「正信偈」に、このようにお示しになられたのです。

  摂取の心光、つねに照護したまふ。
  すでによく無明の闇を破すといへど
  も、貪愛・瞋憎の雲霧、つねに真実
  信心の天に覆へり。たとへば日光の
  雲霧に覆はるれども、雲霧の下あき
  らかにして闇なきがごとし

 どんなに厚い雲や霧に覆われていても、けっして昼間は真っ暗闇ではありません。雲や霧と貫いて、太陽の光がここに届いているからです。仏さまの光が届いていると知れば、たとえ煩悩に振り回されていたとしても、けっして暗闇を歩む人生ではないのです。

 ひかりあふれて(99号より)


 私の好きな仏教讃歌の中に「ひかりあふれて」という歌があります。作詞は原真弓さんで、こんな素敵な言葉で綴られています。

  阿弥陀さまの光を
  心にあびて
  今日の日も安らぎに
  満たされてゆく

  わけへだてない慈悲は
  雨より多く
  山のように広がり
  すべてを包む

  金樹・銀樹・瑠璃樹
  美しく揺れて
  願い届くときは
  ハスの花が咲く

 「日光浴」という言葉があるくらいですから、太陽の光を浴びるというのはわかりますが、この歌詞の中に出てくる「阿弥陀さまの光を心にあびて」とは、いったいどういうことなのでしょうか。それは後に出てくる「わけへだてない慈悲」という言葉と重ねて味わうことができます。

 阿弥陀さまは、法蔵菩薩という名前であったご修行の時代、「すべてのものに安らぎを与えたい」という願いをおこされました。そして、五劫という想像を絶するほど長い時間のご思案と、さらには兆載永劫という長い長いご修行の末に、「正信偈」の「重誓名声聞十方(重ねて誓ふらくは、名声十方に聞こえん)」の言葉のとおり、「南無阿弥陀仏」という名号(名のり)となり、その名号が十方に響き渡ることで、その願いを実現をされたのです。

 「南無阿弥陀仏」とは、「私があなたのもとにいることで、あなたが安心して生きていける仏になりましたから、どうか私にまかせてください」という、阿弥陀さまの願いをこめた喚び声(よびごえ)なのです。この喚び声が私の心に届くとき、「けっして一人じゃないんだ」という安心感が広がり、私の心を覆っていた悩みや迷いの雲を貫いて、明るい光が差し込んできますから、「阿弥陀さまの光を心にあびて」と歌われているのです。

 こうして、阿弥陀さまの願いが「南無阿弥陀仏」の声となって私の心に届くとき、激しい怒りや、あくなき欲望に振り回されている私の中に、美しいハスにたとえられる、念仏の花が咲くのです。親鸞聖人は、「讃阿弥陀仏偈和讃」の中で、

  慈光はるかにかぶらしめ
  ひかりのいたるところには
  法喜をうとぞのべたまふ
  大安慰を帰命せよ

と、阿弥陀さまのお慈悲の光にふれた喜びを味わっておられます。お念仏を称えながら、この喚び声にこめられた阿弥陀さまのお心を味わいたいものです。 

 あなたはどこに(98号より)


  あなたはどこに居ますか。
  あなたの心は風に吹かれていますか。
  あなたの心は壊れていませんか。
  あなたの心は
  行き場を失ってはいませんか。

  命を賭けるということ。
  私たちの故郷に、
  命を賭けるということ。
  あなたの命も私の命も。
  決して奪われるために
  あるのではないということ。

 二〇一一年の三月十一日に東日本大震災が起こり、それに伴い福島第一原発の事故が発生して、多くの人が被災しました。詩人で高校の国語教師である和合亮一氏は、伊達市にある学校で被災。避難所で数日過ごした後、自宅からツイッターで詩を発信し続け、大反響を呼びました。

 その詩に感激した作曲家の新実徳英氏が、「つぶてそんぐ」として合唱曲を作りました。「つぶてそんぐ」1の第一曲目が「あなたはどこに」です。この歌は全国の合唱団で歌われ、永源寺コール・メイプルでも、いま練習に取り組んでいるところです。

 先ほど紹介しましたように、この詩は原発事故で、ふるさとを離れることを余儀なくされている人々に向けて送られたメッセージではありますが、そのまま、日常の生活の中で、自分の居場所を見失ったり、また、知らず知らずのうちに、周りの人を傷つけている私たちに、一人一人のいのちの大切さ、生きることの尊さを訴えるメッセージにも思えてきました。

 親鸞聖人の御和讃の中に、

  無明長夜の灯炬(とうこ)なり
  智眼くらしとかなしむな
  生死大海の船筏(せんばつ)なり
  罪障おもしとなげかざれ

という一首があります。私たちは自分の手に余るほどの辛いことや、悲しいことに遭遇すると、周りのことが見えなくなってしまいます。それを無明といわれたのだと思います。そんな時、私の行く手を照らし、背中を押してくれる温かい言葉、それが「まことのいのちの親」である阿弥陀さまのおられることを知らせる「南無阿弥陀仏」という仏さまの御名であると、親鸞聖人はお示しくださいました。 

 宮商和して自然なり(97号より)


清風宝樹をふくときは
いつつの音声いだしつつ
宮商和して自然なり
清浄勲を礼すべし

最初のページに掲載したご和讃は、親鸞聖人がお書きくださった『浄土和讃』の中の一首で、極楽浄土の荘厳を讃えられたものです。

 極楽浄土には、七宝で飾られた樹木が立ち並んでおり、そこの清らかな風が吹くとき、木の葉が素晴らしい音を奏でます。東洋の音階は、ドレミファソラシという七つの音ではなく、宮(きゅう)商(しょう)角(かく)微(ち)羽(う)という五つの音から構成されています。「清風宝樹をふくときは、五つの音声いだしつつ」といわれているのは、そのためです。

 「宮商和して自然なり」というのは、それらの五つの音が、見事に調和して、素晴らしいハーモニーを作り出しているということを表しています。音にはハーモニーしやすい音と、しにくい音があって、特に近くの音とは「不協和音」といって、ハーモニーーしにくいのです。五つの音階でいうと、宮(きゅう)と商(しょう)との二つは「不協和音」になります。しかし、極楽浄土に吹く風によって発せられる音は、その不協和音でさえも、見事に調和するというのです。

 阿弥陀仏の極楽浄土の荘厳は「願心荘厳」といって、すべて私たちを安らかな境地に到らしめたい、という大悲の親心によって仕上げられたものなのです。この「宮商和して自然なり」というのは、逆にいえば、私たちの世界が「不協和音」に満ちた世界であり、それによって争いの絶えない世界である、ということの裏返しなのです。

 音楽の世界では「不協和音」も、うまく活かされると、また味わい深いものにもなる場合があり、あながちに「不協和音」が無意味なもの、邪魔なものであるとも言えません。

 私たちの世界でも、意外と近い関係にある間柄の方が、「不協和音」を出しているということがあります。親子であったり、兄弟であったり、また夫婦であったり、仲間どうしであったりと…。その音のぶつかりあいは、互いの音を聞こうとせず、自己主張ばかりをしていくところに起こってくるのではないでしょうか。音楽の世界でもそうですが、たとえ不協和音になりそうな音どうしであっても、互いの音を聞き合うことによって、味わい深い音にもなります。

 そのことを教えてくれるのが、このご和讃に表現された、仏さまの願いの心なのです。

 南無阿弥陀仏を称えれば(96号より)


 毎年、元旦会にお勤めしている「現世利益和讃」の最後に、

  南無阿弥陀仏をとなふれば
  十方無量の諸仏は
  百重千重囲繞して
  よろこびまもりたまふなり

という一首があります。お念仏を称える人の人生は、十方の諸仏に囲まれ、守られている、とのお示しです。

 しかし、よくよく味わってみると、阿弥陀さまのご本願のおいわれをはからいなく聞かせていただいたなら、すでに十方の諸仏に守られていたことを知らされ、お念仏申さずにはおれなくなる。これこそこの世における最高の本当の利益なのだといわれているのだ、と気づかされるのです。

 松任谷由実さんの「やさしさに包まれたなら」という歌がありますが、

  やさしい気持ちで
  目覚めた朝は
  大人になっても
  奇蹟は起こるよ
  カーテンを開いて
  静かな木漏れ陽の
  やさしさに包まれたなら
  きっと
  目に写る全てのことは
  メッセージ

という素敵な歌詞を口ずさんでいると、なぜか、わくわくする気持ちになってきます。

 年を重ねていくと、何事も「あたりまえ」としか見えなくなり、喜びも感動もなく、生きる意味さえ見失ってしまいがちです、「うれしい時も、悲しい時も、その一瞬一瞬を、あなたに寄り添い、見守り続けていくよ」という阿弥陀さまの言葉に包まれていると、自分の人生に無駄な時間はなく、今日が何事にも代えることのできない、宝物のような一日であると知らされます。

 阿弥陀さまと共生きる(95号より)


 九十歳を超えてから詩を書き始められた、柴田トヨさんの処女詩集『くじけないで』の中に、「風と陽射しと私」という詩があります。

  風が
  硝子戸を叩くので
  中に入れてあげた
  そしたら
  陽射しまで入って来て
  三人で おしゃべり

  おばあちゃん
  独りで寂しくないかい?
  風と陽射しが聞くから
  人間 所詮は独りよ
  私は答えた
  
  がんばらずに
  気楽にいくのがいいね
  
  みんなで笑いあった
  昼下がり

 柴田トヨさんは、独り暮らしをされてはいますが、「人間、所詮は独りよ」と割り切っておられるからこそ、硝子戸を叩く風とも、窓から差し込む陽射しとも仲良くなって、三人でおしゃべりができ、笑い会うことができるのでしょう。   しかし私たちには、なかなか「人間、所詮は独り」と割り切ることはできないようです。しかも、都合のいい時には、側にいてほしい、別れたくない、と言いながら、都合が悪くなると、一時たりとも側にいたくない、と遠ざけていくのです。そうして、結局、孤独感と絶望感の中で一生を終えていくことになります。

 『大無量寿経』には、「人、世間愛欲のなかにありて、独り生れ独り死し、独り去り独り来る。行に当りて苦楽の地に至り趣く。身みづからこれを当くるに、代るものあることなし」と説かれています。人間は、本当はみな孤独の中を生きていて、だれに代わってもらうことも、また、だれかに代わってやることもできない、とお示しです。

 ここに、阿弥陀さまが「ご本願」を発された理由(わけ)がありました。阿弥陀さまは、私たちを一人子のように見てくださり、「決してあなたを独りぼっちにはしない」と、「南無阿弥陀仏」の声となって私の中に入り満ち、孤独な人生を、私と共に歩んでくださるのです。

玉尾山淨光寺第十九世住職
宣布院釋量正法師を偲んで(94号より)


 去る七月一日、九十歳を一期として往生の素懐を遂げた、浄光寺第十九世住職(前住職)、宣布院釋量正法師の葬儀が、七月四日午前十時半より、浄光寺本堂ならびに境内において、しめやかに営まれました。

 前住職は、浄光寺第十七世住職宝雲師の弟である、量雲師の長男として大正十二年に生まれました。宝雲師に後継者がなかったために、大谷光瑞猊下の随行役を務めていた父、量雲師や弟、妹たちと別れて、小学校に上がる前に、一人で香港から帰国して、宝雲師夫妻のもとで育てられることになりました。

 その伯父が昭和十一年、五十八歳で往生し、前住職はまだ中学生であったために、父、量雲師が浄光寺住職を継ぐということで、母や弟、妹たちと一緒に帰国しました。まさに、前住職は波乱に満ちた少年期を過ごしてきたといえるでしょう。

 しかし、龍谷大学に進む頃から、文学青年としての才能を次第に発揮しするようになり、また厳しい中にも愛情をもった教育者としての道を歩むことになります。(学徒動員で戦地へも向かいましたが、そのことについては省略します)大学卒業後、しばらく地元で教員生活を送った後、神奈川県の鵠沼中学で教鞭を執ることになりました。

 しかし、昭和二十八年、父量雲師が往生し、父の遺言により、浄光寺の第十九世住職となるべく、甲津畑へ帰ってくることとなったのでした。

 それからは、浄光寺住職として法義の相続に勤めるかたわら、布教使として全国のお同行にお法りを伝え、また伝道院の部長として、多くの布教使を育成し、中央仏教学院でも、寺院子弟の養成に勤めました。

 平成七年には喉頭ガンを患い、声帯を摘出するという手術を受け、大切な肉声を失うという事態になりながら、平成十一年には蓮如上人五百回大遠忌法要の導師を勤め、後継住職に任を譲る、という大役を果たしたのでした。

 その後も、執筆活動をとおして、ご法義を伝え続け、亡くなる直前まで、法話集を出そうと、原稿を書き続けていました。(後日、この遺稿集を出版したいと思っています)

 元来、たばこの好きだった父は、晩年に肺気腫を患い、それがもとで五月中旬に入院することになりました。昨年も同じ症状で入院しており、その時は一か月ほどで退院することができましたので、今回もきっと元気に退院できるものと思っておりました。

 しかし、今回は一旦は退院できそうな状況の時もありましたが、次第に体が弱くなり、ついに七月一日に病院で息を引き取ることになってしまいました。

 それでも、前住職は病室の中にあって、大切な「いのちのバトン」を確かに渡してくれたと思います。次第に弱っていく姿の中に、愛おしささえ感じるような穏やかな表情を見せてくれたのです。そして臨終の時には、家族の仏教讃歌の声に囲まれ、まさに「いよいよ」という時には、「重誓偈」のお勤めの声の中で、静かに息を引き取っていったのでした。

 振り返ってみれば、波瀾万丈の生涯を「宣布院」の院号のとおり、お法りを伝えることに生涯をかけた一生であったと思います。
 後に遺された私たちは、前住職の意志を引き継いで、これから、一人一人、聞法に励んでいきたいと思います。

 いのちのバトン(93号より)


 親鸞聖人は『ご本典』の最後に、七高僧のお一人、中国の道綽禅師のお言葉を引用して、
 
   前(さき)に生れんものは後を導き、
   後に生れんひとは前を(とぶら)へ。
   続無窮にして、
   願はくは休止せざらしめんと欲す。
   無辺の生死海を 尽さんがためのゆゑなりと。

と言われています。

 私たちは生まれてくるとき、何も知らずに、何も持たずに、まる裸のままで生まれてきました。自分が自分であることに気づいたのも、生まれてからずいぶん後のことでした。そんな私たちが、こうして生きてこられたのは、自分が自分であることも知らず、もちろん「育ててください」と頼みもしないのに、私に「健やかに育ってほしい」と願いをかけて、育ててくれた人の存在があったからです。
 
 逆にいえば、先に生まれた者には、後に生まれてくる者を、正しい方向に導いていく責任があるとも言えるでしょう。それでは、先に生まれた者は、誰に生き方を学ぶかというと、そのまた先に生まれた者、ということになるでしょう。
 
 こうして、「いのちのバトン」は次々に渡されていくことになるのですが、最近、このバトンが、後に生まれてくるものに渡されてにくくなっている、ということがあるように思われます。
 
 先の言葉の「生まれる」というのは、生死(まよい)の世界を離れて、悟りの世界である「浄土」に生まれていくことをも指しています。これを「往生」と言います。「往生」とは、けっして行き詰まることを言うのではなく、悟りの世界へ「往き生まれる」ことなのです。
 
 フォトジャーナリストの國森康弘さんが、永源寺診療所の花戸貴司先生の訪問診療や、家族の方々の「看取り」の様子を取材して出版された『いのちつぐみとりびと』全四巻が注目されています。国森さんは、第一巻の「恋ちゃん、はじめてのみとり」の後書きに、

   「いのちのバトン」は、大切な人を看 取ったときにも、
  その旅立つ人から受 け取ることができます。

と書いておられますが、「どんな形で死を迎えようとも、必ず仏にする」という仏さまのお誓いを、ふだんから聞かせていただくことが大切ではないでしょうか。

 本当の豊かさとは?(92号より)


 ある方から紹介していただいて、『GNH(国民総幸福)~みんなでつくる幸せ社会へ~』という本を読みました。

 これまで、ほとんどの人が「経済成長は社会のために必須だ」と考えてきました。しかし近年、温暖化をはじめとする環境問題の影響が明らかになるにつれ、〝経済成長〟や〝GDP(国民総生産)〟や〝真の幸せのための経済や社会のあり方〟についてしっかり考えよう、とい動きが盛んになってきました。

 世界で最初にGDP至上主義からの脱却をうたったのはブータンですが、この本の中には、ブータンの事例だけでなく、日本国内の注目すべき取り組みが紹介されています。その一つが「滋賀県甲良町のGNHを感じる街作り」です。甲良町は、鈴鹿山脈から琵琶湖に注ぐ犬上川左岸に位置する、古き良き農村集落の景観が残っている、人口八〇〇〇人弱の町です。

 一九八一(昭和五六)年頃から圃場整備が進められ、畦に植えてあった柿の木や、雑木林も撤去されました。そのとき「田んぼが立派になり、景観がさっぱりした。しかし、集落内の水路になんだか水が流れなくなった、本当にそれでよいのだろうか…」など、効率的になった水田を見て喜ぶどころか、逆に危機感を感じたそうです。

 そこで甲良町では、経済効率だけを追うのではなく、本当の豊かさのためにお金を出していこうとの方針のもと、町づくりを行おうと考えたそうです。人々がそのように考える背景にあると指摘されているのが、「念仏の里の風景」ということでした。

 他家を訪れる人は今でも家人より、まず先に家の仏前に向かって掌を合わせます。この地に暮らす人々のものの見方、考え方は念仏を基本に置いていると思われます、と書かれてありました。

 また、「土徳」という言葉にも注目されています。人間の徳だけでなく「集落を培ってきた地域自然にも徳がある」という考え方。例えば「寄り道ができる通学路」というのは、学校への行き帰りの環境が、子どもが育つのに大切である、という考えに基づいています。

 そしてもう一つは、子どもからお年寄りまで「誰もが主役になれる村(集落)」ということでした。
 私たちも、念仏に育まれた生き方について考えてみたいものです。

 一切の業繋ものぞこりぬ(91号より)


 思想家の内田樹氏が、その著『呪いの時代』のはじめに、

  「呪い」は今や僕たちの社会で批判的な言葉づかいをするときの公用語になりつつあります。
  「弱者」たちは救済を求めて呪いの言葉を吐き、「被害者」たちは償いを求めて呪いの言葉を吐き、
  「正義の人」たちは公正な社会の実現を求めて呪いの言葉を吐く。
  けれども、彼らはそれらの言葉が他者のみならず、おのれ自身へ向かう呪いとしても機能しているこ
  とにあまりに無自覚のように思われます。

と指摘しています。私たちは色々なものに縛られている、と感じる事があると思いますが、実は自分の考え方、ものの捉え方、そしてその元になる自分の言葉に縛られていることには、あまり気づいていないものです。
 そしてこのような自分自身をも縛っていく「呪い」の言葉に対して、

  呪いを解除する方法は祝福しかありません。自分の弱さや愚かさや邪悪さを含めて、自分を受け容れ、
  自分を抱きしめ、自分を愛すること。

と結論づけています。「弱く、愚かで、邪悪な私」が、「許されて、認められて、生かされていたのだ」と知るとき、他の人をも「許し、認め、生かしていくことができるのだ」と思います。親鸞聖人が『ご和讃』に、

  清 浄 光 明ならびなし
  遇斯光のゆゑなれば
  一切の業繋ものぞこりぬ
  畢竟依を帰命せよ

といわれています。仏さまの智慧の光(真実の言葉)に触れるということは、そういうことではなかったかと、あらためて味わわせていただきました。

 轍(わだち)の跡を(90号より)


 秋のお彼岸の時期を迎えました。お彼岸の法要は、浄土があると示された真西の方向に太陽が沈む時節に、亡き人を偲びながら、自分のいのちの行く末を考えてみる、とても大切な宗教行事として、私たち日本人の生活に定着してきました。
 「歌う尼さん」として活動されている、シンガーソングライターの、やなせななさんの歌に「祭りのあと」という歌があります。

 彼女のお母さんは岸和田の生まれで、だんじり祭りの季節になると、いつも帰省して、まつりに連れていってくれたそうです。賑やかだったお祭りが終われば、なんとなく寂しくなりますが、だんじりが曳かれた後に、車輪の跡(轍)が残ります。ななさんは、「お祭りは人生に似ている」と言います。

 大切な人は、仏さまのところへ帰っていかれる。その足跡の上を、私たちは歩かせていただく。お念仏を大切にしたり、人を敬う心を持たせてもらったりと……。祖父母の姿を見て、そんな思いで作られたのが、「祭りのあと」という歌なのです。こんな歌詞です。

 金木犀の花 薫る頃
 瞳閉じれば この胸の中
 蘇る笛の音 踊る太鼓
 あなたが好きだった 祭りばやし

 夕闇の中 揺れるちょうちん
 あなたとふたり 宵宮参り
 幼いわたしの手 引いて歩く
 あなたが口ずさむのは 古い歌

 時は流れて 変わりゆく町
 遠い日は もう戻らないけれど
 人波の中 あなたが生きた轍の後を 辿り歩く

 (中略)

 時は流れて 変わりゆく町
 あなたは二度と 戻らないけれど
 わたしの中に 確かに残る
 轍にも似た証 伝える

 (以下、略)

 この歌を聴いていると、親鸞聖人は、『ご本典』(教行信証)の最後に、道綽禅師の『安楽集』の言葉を引用して、

 前に生れんものは後を導き、後に生
 れんひとは前を訪へ、連続無窮にし
 て、願はくは休止せざらしめんと欲
 す。無辺の生死海を尽さんがための
 ゆゑなり 。

と言われていることと、思いが重なります。私たちは、ちゃんと大切な人の歩いた跡をたどっているだろうか。後に続く人に、確かなものを残しているだろうか。秋の永代経のご縁の中で、問いかけてみたいと思います。

 

 名もなき花(89号より)


 生と死を見つめる癒しの歌が、各地で静かな感動を呼び、お寺でのコンサートを中心に活動を続け、浄土真宗本願寺派の住職を勤めてもおられる、シンガーソングライターの、やなせななさん。彼女のアルバム『願い』の中に、「名もなき花」という歌があります。
 
 やっと咲いたんだ 世界の片隅  あなたが流した 涙の中に
 くれないに色づき始めた花 いちりん 惜しみない 祝福の拍手を送るよ

 この歌を聴いていると、『大無量寿経』の「群萌を拯ひ、恵むに、真実の利をもつてせんと欲してなり」という言葉が浮かんできます。
 
 今日も咲こうとする 宇宙の真ん中  あなたが歩いている 足の下に
 くれないに彩られてゆく花 いちりん 誰ひとり その美しさに
 気づかなくても

 「群萠」とは、誰にもその美しさ(存在価値)を気づかれない、「名もなき花」のような存在のことです。そんな花にも、「そのいのちは、かけがえのないものだよ」と、惜しみない「祝福の拍手」を送ってくださいます。そのわけは、仏さまの温かい眼差しが、すべてのものに注がれているからでした。 

 生まれたときに みんな 授けられている 種
 よろこびも 悲しみも 糧にして 育つよ 愛の実を結ぶため

 それでも、やなせななさんは、いのちの「無常のことわり」を忘れることなく、この歌に綴っています。

 だけどサヨウナラ 愛しいそのすべて どんなに おおきな花を咲かせても
 人知れず 色をなくしてく花いちりん 誰ひとり 引き留めることなんてできない
 燃えている いのち手放す僕もひとり いつの日かこの土に還ってゆくだろう

 無常のことわりは、誰にも避けることはできませんが、見方を変えれば、「いのち」は無常であるがゆえに、今あることが美しいと言えるかもしれません。そんな「いのちの見方」を、仏さまの言葉は教えてくれます。最後に、こんな言葉で、この歌はしめくくられています。

 くれないに 色づき育ってく花 すべてに
 惜しみない 祝福の光を 贈ろう

 「南無阿弥陀仏」の喚び声を、つねに私たちを見守り、支え、導いてくださる仏さまの「祝福の言葉」と味わいたいと思います。

 功徳の宝海みちみちて(88号より)


 去る五月一日、パソコンに向かう手を止めて、何気なくチャンネルを変えながらテレビを見ていた時、ある番組に、リモコンを動かす手が止まりました。それはNHK教育テレビ「二人のチャレンジド ~浅野史郎と村木厚子~」という番組でした。

 「チャレンジド」とは、〈障がい者〉を単なる〈弱者〉ではなく、〈神から試練を与えられた者〉ととらえる考え方に立って、使われるようになった言葉です。

 二年前に発症した 成人T細胞白血病と闘病中の、前宮城県知事で、慶応大学教授の浅野史郎さん。そして、郵便不正事件で逮捕、起訴されながら、去年、無罪が確定し、もとの公務員の職場に復帰し、現在、内閣府 政策統括官 を務める村木厚子さん。

 二人は、それぞれ厚生省、労働省に入省し、障がい者問題をライフワークとしてきた旧知の仲でした。くしくも、二年前の六月、浅野さんが入院した直後、村木さんは無実の罪で逮捕されました。障がい者の就労支援に尽力してきた村木さんの誠実な仕事ぶりを知る浅野さんは、当初から無実を信じ、病床から支援のエールを送て続けたといいます。

 対談によると、五ヶ月におよぶ無実の拘置所生活や、死と隣り合わせの闘病生活を、自らに与えられた「チャレンジ」としてとらえ、苦しい時期を乗り越えてこられたそうです。 その村木さんが、拘置所生活の中で、一番の支えになった、アメリカのミステリー作家、サラ・バレツキーさんの、こんな言葉を紹介されていました。

  生きていれば、誰にでも不条理なこと
  は起こるものよ。でも、それを自分の
  人生に加えるかどうかは、あなた次第
  ……。
 
 逆境を嘆き、他人を恨むよりも、自分に与えられた試練、課題だと思って、自分の人生にプラスにしていこうということです。なかなか浅野史郎さんや、村木厚子さんのように強いチャレンジ精神を持つことはむずかしいですが、親鸞聖人は御和讃に、

  本願力にあひぬれば
  むなしくすぐるひとぞなき
  功徳の宝海みちみちて
  煩悩の濁水へだてなし

と説かれています。仏さまの願いに生かされる人は、逆境や、怒りの種も、自分にとって「大切な宝」に転じられていく、と教えてくださいました。

 やわらかい心で(87号より)


 昨年、NHKのドキュメンタリー番組「九九歳の詩人 心を救う言葉」が放送され、大反響となったという、柴田トヨさんの詩集『くじけないで』を、ある報道番組の特集で知り、早速、購入して読みました。

 とても九十九歳とは思えない、みずみずしい感性に満ちあふれた言葉の数々。本当に驚くとともに、人はいくつになっても、「やさしい言葉」を紡ぎ出すことで、こんなにも「やわらかい心」を持ち続けることができる、ということを知りました。詩集の中に、「こおろぎ」という詩があります。
   
   深夜 コタツに入って
   詩を書き始めた
    私 ほんとうは
   と 一行書いて
   涙があふれた
   
   何処かで
   こおろぎが鳴いている
   泣く人遊んであげない
   コロコロ鳴いている

   こおろぎコロスケ
   明日もおいでね
   明日は笑顔で
   待っているよ 

 明治四十四年、米商いの裕福な家に生まれながら、お父さんが仕事熱心でなかったために、十代の時には、家が他人の手に渡り、奉公にも出ました。それから、数々の苦難を乗り越えて、力強く生き抜いてこられたトヨさん。九十歳をすぎた頃、趣味の日本舞踊が踊れなくなって、気落ちしていたトヨさんに、息子の健一さんが詩を書くことを勧め、時々訪ねてくる息子さんと、二人三脚の詩作が始まったのでした。

 「私、ほんとうは…」と書いたとき、これまでの様々なことが思い出されて、胸がいっぱいになり、涙があふれました。ふと気がつくと、コオロギの鳴く声が聞こえます。その声に目覚めたように、「明日は笑顔で待っているよ」と話しかけました。

 親鸞聖人は、仏さまの温かい光と、「南無阿弥陀仏(我にまかせよ)」という救いの言葉に触れていく者は、かたくなになりがちな身と心を、柔らかくほぐされていく、と教えてくださいました。仏さまの「願いの言葉」に聞き触れ、仏さまに育まれる人生を、歩みたいものです。

 まるごと受けとめる(86号より)


 人はみな、生まれてきました、この世に。でも、何のために? 私たちは人生の苦難にぶつかり、先が見えなくなるたびに、自分自身にこの問いをぶつけます。お金のため、名誉のため、家族のため、健康のため、などなど……。しかし、これらの「ため」は、それが裏返しになったとき、「こんなはずじゃなかった」と、必ず愚痴に変わってしまうのです。

 先日、ある方から、こんな素晴らしい詩を紹介していただきました。

   ママ   田中大輔

  あのねママ
  ボクどうして生まれてきたのか
  しってる?
  ボクね ママにあいたくて
  うまれてきたんだよ

    『あたなにあいたくて生まれてきた詩』(宗左近 選)・

 作品「ママ」は、三歳の大輔くんが話しかけてきた言葉を、母親が書きとめたものです。

 三歳の子どもの口から、こんな言葉が出てくるなんて、本当に驚きです。しかし、お母さんの、たくさんたくさんの優しさ、温かさを、三歳の素直な心で、しっかりと受けとめている大輔くんの喜びが、「ママに会いたくて」という言葉の中にあふれています。

 親鸞聖人は、一切の条件をつけず、そのまま「まるごと」受けとめてくださる方がおられると、私たちに教えてくださいました。そのお方が、私をよんでくださっている、ということに気づいた時、私の「何のために生きるの?」という問いに、確かな答が見つかるのです。

今生最後と思うべし(85号より)


 前号で、「聴聞の心得」の第二条「我一人の為と思うべし」についてお話ししましたから、今回は、最後の第三条「今生最後と思うべし」について、考えてみたいと思います。

 はじめて「聴聞の心得」を、ご門徒の皆さんと一緒に、「一つ、今日のこのご縁は、今生最後と思うべし」と唱えた時、思わず苦笑いが起こりました。今日のお参りが、今生最後になるとは誰も思わないですから、こんな言葉を聞くと、「ええっーー」と思うのも当然のことかもしれません。
 
 私たちは「いのち」が、変わらずに続いていくものだと考えがちです。しかし、本当は少しずつ変化していくからこそ、成長することも、また老いることもあるのでしょう。細胞レベルでいうならば、つねに古い細胞が死んで、新しい細胞が生まれるという、生と死を繰り返して、「いのち」は相続されているのです。

 ローソクの灯がともり続けるのは、ろうが溶けて燃え続けるからです。しかし、このローソクも、突然の風によって一瞬のうちに消えてしまいます。まさに「風前の灯」です。親鸞聖人の兄弟子にあたる隆寛律師の『一念多念分別事』という書物に、

  人のいのちは日々に今日や限りと思ひ、時時にただ今や終わりと思ふべし。無常の境は生まれてあだなる仮のすみかなれば、風の前の
  灯を見ても、草の上の露によそへても、息のとどまり、いのちの絶えんことは、賢きも愚かなるも一人としてのがるべきかたなし。

といい、それに続いて、

  この故に、ただ今にてもまなこ閉ぢはつるものならば、弥陀の本願に救はれて、極楽浄土へ迎へられたてまつらんと思ひて、南無阿弥
  陀仏ととなふることは、一念無上の功徳をたのみ、一念広大の利益を仰ぐ故なり。

といわれています。そして、その一念、一念が、一時にもなり、二時にもなって、やがて七十、八十の年にもなっていくのです。大切なことは、たとえ今この「いのち」が終わっても、必ず浄土に生まれて、仏になる身であると、心定まっていることなのです。ご法話の中で聞かなければならない最も肝要なことは、ここにあります。

  「いつも何度でも」の作詞をされた、詩人で、作詞家の覚和歌子さんが、ある講演の中で、「私は、たとえ十分後に命を終えることがあったとしても、自分自身が、満ち足りた人生だった、と言える生き方を心がけています」とおっしゃっていました。私たちも、そのような心がけをもって、お聴聞をしていきたいものです。

我一人のためと思うべし(84号より)


前々号で、「聴聞の心得」の第一条、「初事と思うべし」についてお話ししましたから、今回は、第二条の「我一人の為と思うべし」について、考えてみたいと思います。
 「聴聞の心得」の第二条は、「一、今日のこのご縁は、我一人の為と思うべし」で、「今日、このご法座で聞かせていただくご法話は、私一人のためのものであります」と心得よ、ということです。

 私たちは、「今日のご法話は、いいご法話だった」と思うことはあっても、なかなか「私のためのご法話だった」とは思えないものです。つい、「あの人に聞かせるべきご法話だった」とか、「なかなかあの人は、ご法話を聞かないからね」と、他人事にしてしまいがちです。

 もちろん、ご法話を聞いた喜びを、他の人とも分かち合いたいという思いは、報恩感謝のという意味では、大切なことなのですが、肝心の「私の後生の一大事」ということを、つい忘れてしまうのです。お聴聞とか、信心というのは、誰にも代わってもらえない私の人生を、私自身がどう生き抜くか、という問題ですから、それこそ一人一人の「しのぎ」なのです。

 親鸞聖人は『歎異抄』の後序に、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり」といわれています。これは、親鸞聖人ただお一人のためのご本願である、ということではありません。仏さまは私たちに対して「十方の衆生よ」と呼びかけられますが、私にとっての「仏さまと私」の関係は、つねに一対一であることを知らせてくださった言葉なのです。

 たとえばそれは、四人の子どもを持つ親が、子どもたちに対して「四人の子どもたちよ」と呼びかけたとしても、子どもたちはみな、「私の親」が呼んでいる、というのによく似ています。つまり、「いつでも」「どこでも」「誰に対しても」等しく「あなたは、私の子どもだよ」と呼びかけてくださる仏さまを、私たちは「いま」「ここにいる」「この私」を呼んでいてくださる、と聞かせていただくのです。

 そんな大切なことを、私自身、忘れていたことに、ある時、気づかせてもらいました。
 あるお家のご法事で、お勤めを始めようと仏さまの方に向かった時のことです。ふと、「今までじっくりと仏さまのお顔を拝むことがなかったなあ」と思い、仏さまのお顔をじっと眺めてみることにしました。しばらくすると、仏さまが、とてもやさしい眼差しで、私を温かく包みこんでくださっている、と思えてきたのです。私はご法事の時、もったいなくも、特等席に座らせてもらっていたのです。

 皆さまも、一度、特等席に座って、仏さまのお顔をじっくりと拝まれては、いかがでしょうか。

畢命を期となして(83号より)


 浄土真宗の七高僧のお一人、中国の善導大師のお書物の中に「畢命を期となして」という言葉が、たびたび出てきます。「畢命」とは、「いのち終わるとき」ということです。つまり、「いのち終わるとき」まで、決して退転することのない決意を、「畢命を期となして」という言葉で表されているのです。

 ところで、私たちが生きていく中で、「いのち終わるときまで::」ということを考えて、行動することはあるでしょうか。むしろ、死んだらしまいなのだから、死ぬ時のことは考えないで、「生きている」ということを前提に、とりあえず生きたいように生き、やりたいようにやろうと、と考えるのが普通なのだろうと思います。

 いつまで生きられるかは誰にもわからないし、死後のこととなると、なおさら誰にもわからないでしょう。だから「死後のことは考えないで、今を大切に生きる」と言うのですが、しかしそれは、本当に大切な問題を先送りし、不安なことは考えないようしようというだけの、「気安め」に過ぎないのではないでしょうか。

 一方、「死んだら、どうなるか」と漠然と問う人がありますが、このような問いに対する明確な答えは、仏教にはない、と言わなければなりません。なぜなら、「今、私はどう生きるのか」ということを抜きにして、「死んだらどうなるか」を考えても、それは無意味なことだ、というのがお釈迦さまの悟られた真理だからです。

 「道に迷っている人」とは、いま自分がどこにいて、どこへ向かおうとしているか知らない人です。そのように、私はどこへ向かって、何のために生きているかわからないということが、「人生に迷う」ということになるでしょう。善導大師は、『観無量寿経疏』というお書物の中で、

  仰ぎておもんみれば、釈迦はこの方より発遣し、弥陀はすなはちかの国より来迎したまふ。
  かしこに喚ばひここに遣はす、あに去かざるべけんや。
  ただ  勤心に法を奉けて、畢命を期となして、この穢身を捨ててすなはちかの法性の常楽を証すべし。

とおっしゃっています。お釈迦さまの教えに頷き、阿弥陀さまの願いに喚び覚まされて、清らかな悟りの世界、浄土への往生を願って生きることが、空しく終わることのない、確かな人生だと教えてくださいます。

初事と思うべし(82号より)


 ご法要にお参りを重ねておられる方には、もうなじんでいただいたと思いますが、浄光寺では、ご法要のご法話の際に、まずご講師に余間におすわりいただき、参詣者全員で「聴聞の心得」を声高らかに唱えてから、あらためてご講師を演台までお迎えして、お聴聞をするようにしています。

 その「聴聞の心得」とは、

   一、今日のこの御縁は  初事と思うべし

   一、今日のこの御縁は  我 一人の為と思うべし

   一、今日のこの御縁は  今生 最後と思うべし

という三ケ条からなっています。今回は、まず第一条の「初事と思うべし」ということについて考えてみたいと思います。

 浄土真宗では、ご法話を聞くことを「お聴聞」と呼んでいます。「聴」には「耳を澄ましてきく」とか「きき入れる」という意味があり、単に知識を得るために聞くというのではなく、私の「後生の一大事(いのちの問題)」解決のために、ご法話を「聞き入れていく」ことが大切であると、心得ておきたいと思います。

 さて、「聴聞の心得」のはじめに「今日のこの御縁は、初事と思うべし」とあるのは、ご法話を聞かせていただきながら、ついつい「あの話しはもう聞いた」とか「この話しはあのご講師と同じ話だ」というふうに、「同じ話」と思った瞬間、「いま」聞いている話を、「過去」のことにしてしまいがちだからです。そこには、驚きも感動もありませんから、私の「身」に入ることもありません。

 しかし、「いのち」には、過去も未来もありません。「いま」吸っている空気が、「いま」の「いのち」を支えているように、私の「いのち」を支える言葉は、「いま」の言葉しかないのです。たとえ過去に聞いた言葉でも、「いま」私に響くからこそ、「いま」の私を支えてくれるのです。

 蓮如上人が、「ひとつことを聞きて、いつもめづらしく初めたるやうに、信のうへにはあるべきなり。ただ珍しきことをききたく思ふなり。ひとつことをいくたび聴聞申すとも、めづらしく初めたるやうにあるべきなり。」とおっしゃっていることを、肝に銘じたいものです。

信心の溝をさらえて(81号より)


 浄光寺では年明け早々に、浄土真宗の門信徒が最も大切にしている「報恩講」が勤まります。報恩講のご満座(満日中)では、お勤めの後、『御俗姓』が拝読されます。その中に、

 この一七ケ日報恩講中において、他力本願のことわりをねんごろにききひらき、専修一向の念仏の行者にならんにいたりては、まことに今月、聖人の御正日の素意にあひかなふべし。これしかしながら、真実真実、報恩謝徳の御仏事となりぬべきものなり。

とあります。私たち浄土真宗門徒が報恩講を勤める意義は、阿弥陀仏の本願のおいわれをしっかりと聞き開いていくことにこそあり、それが、親鸞聖人のお心にかなうことであり、御恩報謝の仏事となる、とお示しなのです。

 江州門徒のたしなみは、「一年は報恩講のために。報恩講は一年のために」と肝に銘じて、大切に報恩講を勤めることにあると、先輩から教えられたことがあります。それは、報恩講を大切にお迎えするために一年を過ごし、報恩講で聞き開いた、本願他力救いの喜びをもって、また一年を大切に過ごしていく、ということでありましょう。

 さらに、満日中のご法座が終了した後には、「おさらい」のお勤めをし、『御文章』二帖目第一通を拝読します。これは別名「おさらいの章」と呼ばれています。それは、「さりながら、そのままうちすて候へば、信心もうせ候ふべし。細細に信心の溝をさらへて、弥陀の法水を流せといへることありげに候ふ」とある言葉によっています。溝にたまった泥をさらえて、水の流れをよくしていくように、たびたび聴聞を重ねて、世俗の垢を洗い落とし、仏法が心によく響くようにしていきたいものです。

念じてくださる仏さま(80号より)


 親鸞聖人は、二十九歳の時、比叡山を下りて、吉水の法然聖人のもとへ行かれた時の心境を「雑行を捨てて本願に帰す」と言われています。これは言葉を換えていえば、「自力を捨てて他力に帰す」ということでした。 「自力を捨てて他力に帰す」ということは、一見簡単なように見えますが、実はとても難しいことなのです。なぜなら、程度の差こそあれ、一般的には自力と他力の二つの力が合わさってこそ、物事は成就すると考えるからです。

 しかし親鸞聖人が、法然聖人のもとで回心(心を翻すこと)され、自力を捨てて他力に帰していかれたというのは、自分中心の発想を転換し、行動の主体を転換されたということでした。そのことを端的に表わされているご和讃があります。(『浄土和讃』「勢至讃」)

  超日月光この身には
  念仏三昧をしへしむ(教えしむ)
  十方の如来は衆生を
  一子のごとく憐念す
  
  子の母をおもふがごとくにて
  衆生仏を憶すれば
  現前当来とほからず(遠からず)
  如来を拝見うたがはず(疑わず)
 
 このご和讃では、勢至菩薩(法然聖人のこと)が超日月光という仏さまから念仏三昧を教わったといわれていますが、実は、親鸞聖人ご自身が、法然聖人から念仏の意味を教わった、ということを喜ばれているのです。もともと、「念仏」とは「仏を念ずる」、つまり、「いつも仏さまのことを心に思う」ということです。しかしここでは「十方の如来は衆生を、一子のごとく憐念す」といわれていますから、「念仏」とは「念じてくださる仏さま」ということである、ということを教わったとおっしゃっているのです。これが主体の転換ということでした。

 「私が仏さまを念ずる」より先に、「仏さまの方が私を念じてくださって」いたのです。しかも、私が仏さまのことを思うのは、それこそ「たまに(時々)」です。なのに、仏さまは「いつも(不断)」私のことを思っていてくださいます。仏さまが「いつも」私のことを思っていてくださるからこそ、私が「たまに」ほとけさまのことを思うことがあれば、いつも私のことを思っていてくださる仏さまに出遇えるのです。

  「私が頭を下げた」というと、そこにはやがて、「頭を下げたのに」という言葉が付いてきます。「のにが付くと愚痴が出る」と言われた方がありました。同じお礼をしていても、「私の頭が下がった」というと、そこには深い感謝の思いが沸いてきます。これが主体の転換ということなのです。

排除から共生へ ~新型インフルエンザ流行に学ぶこと~(79号より)


 今年の五月、国内でも関西を中心に大流行し、多くの学校が休校になるなど、大きな影響を与えた新型インフルエンザ。毒性が弱いことがわかり、一時のような大騒ぎをすることはなくなりましたが、それでも、このような新型インフルエンザ流行の危機が去ったわけではありません。二十世紀の終わりごろから、人間に危険なウィルス感染症の出現が、社会に大きな影響を与えているのです。

 これらは「エマージングウィルス感染症」と呼ばれていますが、エマージングウィルスが起こる背景は、現代社会と密接に関わっている、という免疫学者からの指摘があります。人口増加と、それに伴う自然破壊、そしてグローバリゼーションといういった現代社会が持つ側面が、その発生を引き起こしています。

 ウィルスはエネルギー代謝やタンパク質合成を自分で行うことができないため、増殖するためには、他の生きた細胞に依存しなければなりません。ウィルスが自然界で存続していくためには、増殖の場所を提供してくれている宿主の動物と平和共存していかなければならないのです。

 豚インフルエンザウィルスが発生した背景には、近代的な大規模養豚があり、鳥インフルエンザも大規模養鶏を背景にしていると言います。そして豚から豚へ、鳥から鳥へと感染し、やがて豚からヒトへ、鳥からヒトへと感染して変異を重ねていくうちに、強毒になる場合があると言うのです。

 しかし一方で、ウィルスは遺伝子の運び屋の役割を果たすことから、遺伝子医療に利用されたり、感染した細胞を破壊することから、癌の治療にも期待が高まっています。また、胎児を守っているウィルスもあるそうです。そもそも、ウィルスは三十億年前に地球上に出現したときから生物と共生してきた生命体なのです。

 これまでのウィルス学は、病気からいかに人類を守るかという方向性で進んできました。これを仮に「病原ウィルス学」とするならば、これからは「自然の生態系の中におけるウィルス学」という広い視点が必要であることが指摘されています。人間は動物の一つにすぎません。人間が、自然とかけ離れた、現代社会という特殊な環境をつくりあげ、それによって攻撃的なウィルスの発生を引き起こしてきたことを、まずは認識しなければならないようです。

 人類がこのような特殊な社会をつくりあげた以上、それを認識しながら、ウィルスと人間とが互いに共存していくことを考えなければならない時代に突入したということなのです。お釈迦さまの説かれた「縁起」について、ウィルスをも含めた「あらゆるものとの共生」という広い視野から考え直さなければならないでしょう。

しあわせはどこに?(78号より))


 長年、引きこもりの子どもたちのメンタルケアに取り組まれ、現在「日本家庭教育再生機構」理事長として活躍されている長田百合子さんが、「自己中心的人生からの脱却」と題する手記を書かれていました。仏教で説かれる「縁起」ということにもつながる内容なので、その一部を紹介します。

 人生には、見えざる多くの公式があるようです。〈苦しいことから逃げれば逃げ るほど苦しくなり、怖いものから逃げれ ば逃げるほど怖くなる〉〈自分の幸せしか考えない者には、決して幸せはやって来ない〉という公式は、人間の性から見ればとても皮肉な公式です。(中略)

 自分の力で物事をやっていれば自立しているなどと考える人は、自分の幸せばかりに捕われて本当の幸せをつかむことはできません。人は常に気高く、大きなスケールで人間らしい自立をしなければなりません。

 お釈迦さまは「人は生まれによって尊いのでもなく、生まれによって卑しいのでもない。人は行いによって尊くもなれるし、行いによって卑しくもなる。さあ、私と一緒に尊い生き方をしよう」と人々に諭されました。その尊い生き方とは、縁起の法にかなった生き方でした。

 縁起とは、あらゆるものは様々な「つながり」「関係性」「支え合い」の中で存在しているということです。その縁起を知ることを「智慧」と言います。「智慧」を開けば、自分と他人とを分け隔てする心を離れますから、他の人の喜びを自らの喜びとし、他の人の苦しみを自らの苦しみとするという「慈悲」の心が生まれます。このような「智慧」と「慈悲」を体現されたお方が「仏さま」であり、仏さまに導かれて生きる生き方が、縁起の法にかなった「尊い生き方」ということになるのでしょう。

 逆に、自分の幸せばかりを求めて生きることは、縁起の法とは真反対の生き方ということになります。長田さんが〈自分の幸せしか考えない者には、決して幸せはやって来ない〉というのも当然なのです。

 自己中心的人生から脱却して、「あなたのことが放っておけない」と喚び続けてくださる阿弥陀さまの心に気づかせていただき、「お恥ずかしい」と「もったいない」という心で、報恩感謝の生活をしていくところにこそ、本当の「しあわせ」があるようです。

お慈悲を伝えるために(77号より)


 表紙に、今年の仏教文化講座の講師とお迎えをする土屋昭之先生の書『人間回復~仏教が教えるいじめゼロの世界』から、
 
 〈だれもが〉ほかの生き物を選ばずに、
  人の身をもって、この世に生まれてきた「尊い人」
 〈だれもが〉同じ宇宙・大地の「無量の寿」を受けて、
  共にこの世に生まれ出た「平等の人」

という言葉を掲げさせていただきました。これは意訳『真宗勤行集』(赤本)の二頁に掲載されている「禮讃文」の、

 人身受け難し、今已に受く、佛法聞き難 し、今已に聞く。
 この身今生に向って度せずんば、
 さらにいずれの生に向ってかこの身を度せん。

という言葉に通ずるものです。しかしながら、私たちは人間として生きていく上で最も根本的な、この「大切なこと」を忘れています。そして、お互いに奪いあい、傷つけあい、見せかけの快楽や快適さに翻弄されながら、かけがえのない人生を、気がつけば、愚痴と後悔のままに終わってしまう、という人が少なくありません。

 なぜ人間のいのちが「尊い」か?…。それは、「いのちの真実」を見極める仏さまの言葉(仏法)を聞くことのできる耳を持っているからです。しかし、もって生まれた耳は、育てられなければ、仏法を聞く耳とはなっていかないのです。

 私たちは「聞く」ということを通して、世界を、そして自分を描く(表現する)言葉を獲得していきます。したがって、どんな栄養を摂取するかが、その人の体作りに影響するように、どんな言葉を聞いてきたかが、その人の使う言葉、そしてその言葉の出所となる「こころ」の成長に大きく影響するのです。

 誰に対しても、同じ宇宙・大地の「無量の寿」を受けて、共にこの世に生まれ出た「平等の人」、と言えるのは、すべての人の本当の値打ちを見極める智慧と、それによって相手と共感していく慈悲の心が開かれてこそのことです。

 こうした智慧と慈悲の心を恵み、私たちの自己への執われの心を打ち破り、お互いを尊びながら生きる、という人間としての最高の利益を与える言葉、それが「南無阿弥陀仏」なのです。

一切の功徳にすぐれたる(76号より)


 浄光寺では、毎年の元旦会の際に、「正信偈」のお勤めの後、親鸞聖人がお作りくださった「現世利益和讃」十五首を、お参りの方々と共に、声高らかに唱えます。その中に、

一切の功徳にすぐれたる
 南無阿弥陀仏をとなふれば
 三世の重障みなながら
 かならず転じて軽微なり

という一首があります。南無阿弥陀仏を称れば、過去・現在・未来の三世にわたって、私たちが自らの業として、受けていかなければならない重き障りを、必ず軽く受け止めることができると言うのです。なぜなら、お念仏の中に仏さまの喚び声を聞く人は、誰にも代わってもらうことのできない私の「いのち」を丸ごと受け止め、私が担っていかなければならない重荷を、一緒に背負ってくださる親様(阿弥陀さま)がいてくださることを感じながら生きていくことができるからです。また、

 無無阿弥陀仏をとなふれば
 この世の利益きはもなし
 流転輪廻のつみきえて
 定業中夭のぞこりぬ 

     ※定業(定まった寿命)中夭(早死)

という一首もあります。南無阿弥陀仏を称えれば、この世で得る利益は極まりがないと言うのです。それはとりもなおさず、念仏申す人は迷いの「いのち」を繰り返す縁が断ち切られ、究極の依り所であり、本当の安らぎの世界である「浄土」に生まれ、「悟りの仏」になることが決定するからなのです。
 新年を「元旦会」、そして「報恩講」のお参りから始め、念仏申す身に育てられる喜びを、
聞き開きたいものです。